都心から遥か1000km以上離れた南方の太平洋上に浮かぶ小笠原諸島。その構成は、聟島列島、父島列島、母島列島、硫黄列島(火山列島)並びに西之島、南鳥島及び沖ノ鳥島を含む地域であるが、中心となる「父島」には約2,000人が暮らし、多くが島外からの移住者だ。平均年齢は小笠原村全体で42歳前後と若く、高齢化も緩やかである。そんな父島では、東京宝島事業のひとつとして、この島の未来を話し合う若い島民主体の「父島みらい会議」が行われている。浮き彫りになったいくつかの課題とは。参加者の方々にお話しを伺った。
沢山の観光資源に囲まれ、
住民も若い父島が抱える課題とは?
東京・竹芝桟橋から定期船「おがさわら丸」に乗り、24時間を過ごすと父島にたどり着く。長い道のりに感じるが、目的地には貴重な自然をはじめ、長い道のりを補って余りある資源が豊富にある。だからこそ、この地を訪れる人や移り住む人は多い。
そんな魅力の詰まった父島にも、実はそこで暮らしている人々にとっての「課題」があった。
「島のお金の流れをデータで見ると、島外に出るお金が非常に多いことが分かりました。例えば私たちがここで買う食料は、島外から来たものがほとんどです。反対に、島で獲った魚や野菜、果物は本土に行き、島内で流通・消費するケースは多くありません」
こう話すのは、冒頭で触れた「父島みらい会議」のリーダーであり、島ではバンガロー経営やフィールドガイドを行う深澤丞さん。外に流れるお金が多いのは、父島の食料自給率の低さにも表れているという。しかしなぜ、それが課題なのだろうか。
「ある程度は島内で生産・消費のサイクルを回さないと、島にとって唯一のライフラインである『おがさわら丸』に何かあったとき、経済と島民の生活が止まるリスクがあります」(深澤さん)
父島と本土を結ぶアクセス手段は、おがさわら丸しかない。それも基本は週1便の運航で、人だけでなく貨物もこの船で全て輸送する。逆に言えば、島の生活物資もここに依存している。
こういった課題を感じていたのは深澤さんだけではない。9年前に故郷であるこの地へ戻ってきた瀬堀翔さんもその1人だ。
「かつては年1回、おがさわら丸が“ドック”という3週間ほどのメンテナンス期間に入ると、島から野菜が無くなりました。現在はその期間を別の船が代替しますが、定期船に依存している状況は変わりません」
瀬堀さんは父島でホテルを経営しており、「島を観光で訪れる人も、きっと現地で採れた野菜や魚を食べたいですよね」と話す。しかし現状は地元で流通させる仕組みが少ないため、直接農家とやり取りしながら、現地生産のものを入手しているようだ。
平常時は現状のままでも特段問題はないが、もし不測の事態が起きて他地域とのアクセスが難しくなったとき、この地ではリスクがある。それを感じたのがコロナ禍であり、島としての“自立”が重要なことに気づいたという。
島の課題と、これから進むべき方向性を
見出す場「父島みらい会議」
こういった課題を浮き彫りにしたのが、東京宝島事業における父島の取組のひとつとして2020年からスタートした「父島みらい会議」だった。リーダーの深澤氏は、同じく東京宝島事業において2019年まで企業研修向けの体験型コンテンツ「環境保全プログラム」を進めていたが、コロナによって見直すことに。そこで、住民同士で意見を交わしながら、島の未来を考える本プロジェクトをスタートさせた。
「個人個人で島に対する思いがあることは普段から感じていましたが、より具体的に話し合う機会はなかったんです。そこで、島外との交流が難しいなら、中に向けて話し合う機会を作ろうと。さらにそれを外に発信して『父島ってこんな人たちが住んでいる』と思ってもらえれば、いずれ1番の観光資源になると思ったんですよね」(深澤さん)
父島みらい会議では、観光マーケティング・コンサルタントの専門家をファシリテーターに招き、定期的な話し合いを3年近く続けてきたという。
最初は島の良い部分・悪い部分を住民が自由に出し合うところから始め、次第に先述のような“課題”を明確にしていったという。瀬堀さんも参加者の1人で、「この島の良い部分を改めて知ったのに加え、世界遺産であるからこそ、ここを守る責任感やプライドを改めて強く感じた」と話す。
専門家の助言も聞きながら会議を進めると、自分たちが考えるこの島が目指す方向性も見えてきたと深澤氏は振り返る。「お金の流れを細かく追うと、仕組みを変えれば島の経済も変化する可能性があるとわかってきたんですね。現在の流通形態では難しいのですが、それを少しずつ変えていければ、島民や来島者にとって、より良くなっていくのでは」
具体的には、地域の商品・サービスを地域の中で消費・循環させ、島内での需要や消費を高める「生活主義」という考え方が出てきた。それをベースに、新しい産業の形を「父島スタイル」と名づけたという。目指すはその仕組みの構築だ。
この島は決して、島内生産・島内消費が不可能な地域ではない。例として、数は少ないが島内向けに出荷している野菜農家もある。実際にその方に話を聞くと「ここで作った野菜を島で売ると、輸送費もかからず、高い鮮度で食べていただけます。喜んでもらえるんですよね」と語る。
特に痛むのが早い野菜は、父島産の需要が高いとのこと。味の質も高く、「収穫期はもう少し後ですが、ここで育ったトマトは甘味がありますよ」と教えてくれた。
そのほか、小笠原はコーヒーの産地としても知られるが、多くは島内で消費されているという。この例からも、父島スタイルは決して出来ないことではないといえる。
父島のカルチャーもこれから作る。
住民が目指す「文化の客体化」
島内生産・島内消費のほか、今後の活動方針として「文化の創造と伝承」や「島の人への“父島みらい会議”への告知と参加促進」というキーワードも会議参加者に共有された。
前者については「文化の客体化」という目的が掲げられたという。文化と聞くと、地域にもともと根差したもの、長く継承してきたものをイメージするが、ときには人々が意図的に、新しく地域の文化を作り上げることもある。それが「文化の客体化」だ。
「客体化によって生まれた文化はいくつかあり、例えば北海道のお土産の定番である“木彫りの熊”は、アイヌ文化のイメージが強いですが、先住民が元々やっていたのではなく、その地を訪れた人がアイヌの収入源のために名産化しようと勧めたと言います。同様に、父島も文化を客体化することができると考えています」(深澤さん)
瀬堀さんも、「本当の小笠原の文化とは何かをこれから探し、作っていきたいですね」と話す。
そして、文化の客体化や島内消費を進めるためには、この課題の“共感者”を増やす必要がある。でなければ大きな仕組みを変えるのは難しい。そこで先述のキーワード「島の人への“父島みらい会議”への告知と参加促進」が求められる。
「告知の一環として、1月にシンポジウムを開催します。同時に動画を作成し、さまざまなメッセージを島民に伝えていく予定。まだ最初の1歩の段階ですが、今後は具体的なアクションもしていきたいですね。島外の企業の方などともつながり、一緒に父島スタイルを構築できたらと思います」(深澤さん)
父島みらい会議を進める中で、2人にとって印象的なことがあった。それは、島民から「ここに住まわせてもらっている」という言葉が聞かれたことだ。移住者が多いからこそ、そんな表現が出てきたのかもしれない。
では、住まわせてもらっている人たちがこの素晴らしい自然環境や島民の明るく開放的なマインド、そして、島民が健康的で安全な暮らしを実現できる島を守り、次世代へつなげるためにどうするか。その問いの中で出てきたのが父島スタイルなのだろう。島内消費や文化の客体化といった道しるべは、この島を守りたい人たちの熱意から生まれている。
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