「日本一人口の少ない村」として知られる青ヶ島で、WEBメディアを立ち上げた女性がいる。佐々木加絵さんだ。島の日常を発信する投稿が人気を博す彼女だが、新たに作ったサイトは、島の“ヒト” に焦点を当てた「Aogamiray(アオガミライ)」。そんな佐々木さんにこの活動の最終目標を聞くと「島民を増やすこと」だと答える。ではなぜその手段として、人起点のWEBメディアを作ったのか。

島民には“当たり前”の営みでも、
本土ではニーズの高い情報に変わる

「青ヶ島は、住んでいる人の経歴を聞くだけでもとても魅力的だと思います。ここには中学校までしかないので、高校に進学するには島を出ることになります。それからどんな人生を歩んだのか、また仕事は何をしたのか、そして島に戻った理由は何なのか、反対に、ここへ移住してきた人はなぜこの場所を選んだのか。興味深いですよね」(佐々木さん、以下同)

青ヶ島を代表する大凸部(おおとんぶ)展望台から見た景色
村落からさほど離れていないエリアにも手付かずの自然が広がっている

 東京都・青ヶ島は「断崖絶壁の孤島」と言われ、人口も170人弱。高校進学には島を出る必要があり、ほとんどの人は一度“島外”を経験する。佐々木さんも高校入学と同時にこの地を離れ、そのまま本土で就職し、20年ほど生活していた。

 彼女が青ヶ島に戻ったのは2019年秋。両親が故郷で民宿をオープンしようとした矢先、父が他界。母を手伝うため島に戻ったという。そうして20年ぶりに地元で暮らすと、小さい頃には感じなかった「島の課題」が見えてきた。それが彼女の現在の活動へとつながる。

「改めて住んでみると、青ヶ島から島外への情報発信が少ないと感じました。例えばここには観光協会がありません。ただ、それを他の地域のように行政が担うには限界がある。どうしても小さい島ですから。さまざまな人と話す中でそれが分かり、だったら発信が少ないことを嘆くのではなく、自分たちでやるしかないと思ったんです」

 そんな思いを背景に、まずは青ヶ島の日常を届けるブログとYouTubeを2020年から始めた。しかし、島のネット回線は当時まだADSLのみ。「YouTubeの動画をアップするのに1時間はかかりました」と笑顔で振り返る。その後、2021年に光ケーブルがつながり、活動は本格化した。

 この延長線上で彼女が新たに立ち上げたメディアが「Aogamiray(アオガミライ)」だ。2022年10月に公開された。

 メディアを作ったきっかけは、YouTubeの反響やコメントを見るなかで、青ヶ島を深く知りたい人が多数いるとわかった点が大きいと佐々木さんは語っている。島に到達する船の就航率は約5割という、停泊さえ容易でないその地形や、かつて噴火で隣の八丈島へ避難した島民が、約50年の時を経てふたたび島に戻り住む「還住」の歴史など、この島には独特の要素がある。地元民には当たり前でも、本土ではニーズの高い情報に変わる。それがこのメディアにつながった。

 なお、アオガミライの立ち上げは「東京宝島アクセラレーションプログラム」に選定されており、都からのバックアップを受けて作られた。

「1番の目標は、島民を増やすことです。今は狭い人間関係ですが、人口が増え、コミュニティの選択肢も広がれば、住みやすく楽しくなると思いますから。とはいえ、現実は住宅が少なく、環境的にも簡単ではない。それなら、数年に一度来島してくれるような熱いファンがいるので、まずはアオガミライによってそういった“第2の島民”を増やし、関係人口につなげていけたらと思っています」

なぜ人に焦点を当てたのか。
ここには「島民しか知り得ない情報がたくさんある」

 アオガミライに掲載される記事のメインは「自然」や「歴史」ではない。ここに住む人だ。島民にインタビューを行い、その人生を掘り下げていく。

 例えば廣江寛さん(64歳)の記事では、小さい頃から両親が仕事の傍らで育てていた牛や豚、鶏の世話の手伝いをしていたこと、15歳で島を出て、東京・世田谷の高校に進学したこと、その後、島に戻ってきたことなどが語られている。

 なぜ人に焦点を当てたのか。それは冒頭にある通り、この場所だからこそ1人ひとりの人生がダイナミックで、魅力的だからだ。もちろん青ヶ島も自然は豊富だが「田舎なら、自然はみんな綺麗ですよね」と佐々木さんは素直に言う。

 繰り返すが、船の就航率が低く、また別の来島方法となるヘリコプターは、1日僅か9席の激戦。来島の難易度がここまで高いと、相当な深い魅力がなければ訪れない。

青ヶ島唯一の港である「青ヶ島港(三宝港)」。山肌はコンクリートで固められ、まるで軍事要塞の様だと表現されるほど、特徴的な港である

 その中で、島に何度も来るファンの多くは「人を求めて訪れる」と佐々木さんは話す。

「だからこそ、まずはアオガミライで島民の魅力を伝え、それによって生まれた深いファンが来島したときに、人との交流やつながりが育まれるのが理想です。この流れが起きないと、仮に移住したいと思ったとしても、島民しか知り得ない情報が多く、島外の方が移り住む上で必要な情報が得られない状況になってしまいます」

 青ヶ島には不動産会社がなく、移住するにも役場に問い合わせるしかない。しかし、実は隣の部屋が数か月後に空き部屋になる、などといったローカルな情報が役場まで集まらないケースもある。「島の人とつながらないとここで暮らしたり、何かをしたりすることは難しい。だからこそ、このメディアがきっかけになればいい」と話す。

 ちなみに、このサイトは島外から移住されたエンジニアの方と製作をしたそうだ。佐々木さんは本土にいた頃からデザイナーとして活動しており、イメージをすり合わせながら作ったという。アオガミライをモチーフにしたTシャツなどのグッズも佐々木さん自身がデザインしている。

インタビュー動画ではなく“記事”にした理由。
背景にあるこだわり

 彼女の活動は、青ヶ島の人にとって「目新しいこと」かもしれない。佐々木さんは「島民たちの気持ちを無視したら意味がない」と話しているが、YouTubeではなくWEBメディアで島民にインタビューしようと考えた理由もそこにある。

「まだ島の人にとってYouTubeは馴染みがなく、知らないものというイメージもあります。また、シャイな人も多いので、動画ではなく記事としてインタビューする方が答えやすいと思いました」

 この他、青ヶ島で生産したレモンのメインロゴや出荷箱、チラシのデザインも手掛けている。自身のYouTubeでも発信しており、デザインからPRまで行っている。偶然の帰島から3年、活動の幅はどんどん広がっている。

 それにしても、これほど次々に新しいことを始められる理由はどこにあるのか。彼女にそう聞くと、「実家がある安心感は大きいかもしれませんね」と答えた。東京で1人暮らしをしていたら、生活費だけでも相当なお金が掛かる。無論リスクは負いにくい。当たり前のことではあるが、何かを始める上で、故郷で暮らせるのは心強いだろう。

 そんな彼女が改めて見据える青ヶ島の未来は、やはり人が増えることだ。アオガミライを通じてつながりが生まれ、島を訪れる人が増える。いずれは移住につながる。もちろん先は長いが、彼女はそんな未来を描く。

「日本一人口の少ない村だからこそ、できることも沢山あります。例えば人が少ない分、変化も起こしやすいですよね。私の活動もまだ大きなことをできている実感はないですが、この島でやっているから見てもらえる。他の場所にはないチャンスがあると思います」

 青ヶ島に課題が山積しているのは言うまでもない。伊豆諸島の中でも過疎化は特に深刻だろう。だが、置かれている状況は他の島にないチャンスにもなる。

 青ヶ島に住む人の魅力を伝え、いずれこの場所を訪れるファンを増やしていく。アオガミライは、はるか遠くの島から人と人をつなぐメディアになる。

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