バレーボールを通じて、島を活性化させる。そんなユニークなプロジェクトを進めているのが、東京にある大島だ。プロジェクトの目玉として開催された島内バレーボールイベントには、なんと元日本代表監督 中田久美さん、元全日本代表選手 野本梨佳さんが参加し、島の歴史に新たな1ページが加わった。果たしてバレーボールが、どう島を活性化させるのか。そして中田久美さんはなぜ、当地にやってきたのか。その裏には、大島ならではの稀有な“バレーボール史”があった。

伊豆大島プロトコールプロジェクト 代表 小林祐介さん(写真左)/大島の小学校で教員を5年間務めた後、 2022年にフリーランスに転身し、地域の人や産業から得られる学びと学校教育を結び付けるような活動をしている。
伊豆大島プロトコールプロジェクト メンバー 金子雄さん(写真右)/2011年、農林科の教員として大島高校に赴任。2019年より同校バレーボール部顧問となる。

離島の高校バレー部が果たした快挙

 もともと野球やバレーボール、駅伝、自転車などのスポーツが盛んに行われてきた大島だが、中でもバレーボールは“黄金期”があった。話は約20年前に遡る。

 時は2000年。大島高校の女子バレーボール部は、150チームが参加する都立高大会(現公立校大会)にて、離島の高校としては快挙となる準優勝の成績を収めた。部活動指導員として同部を導いたのは、1989年に大島に移住した山本忠夫さん。山本さん自身、過疎地での困難を乗り越え、バレーボールで夢をつかんだ経験を持っていた。その後も大島高校は2002年に同大会3位、2003年に同大会準優勝の好成績を残した。

 そして同校の活躍を、テレビ局が注目。当時の番組の企画で中田久美さんが島を訪れ、選手たちに何度かコーチングを行った。その中で中田さんは、こう感嘆した。「大島の子は、人間的に素晴らしい」。

 山本さんも、同様にこう話す。
「手前味噌にはなりますが大島の子は、逆境の中で努力して夢に近づいていく力に関して、内地の子を凌ぐものがあります」

 その後、時代は流れ、少子化により部に人が集まらなくなっていく。そして2022年度、同校バレー部はついに部員3名となり、公式戦にチームとして出場できなくなってしまう。そんな状況を受けて発足したのが「伊豆大島プロトコールプロジェクト」だ。

 同プロジェクトは、バレーボールを入り口にして島の活性化・発展を目指すもので、東京都へのプレゼンを経て2022年5月、東京島しょ地域のブランド化を目指す東京宝島アクセラレーションプログラムの取り組みの一つとして選定された。「プロトコール」とは、バレーボールにおいて“試合前の公式練習開始”の意味を持ち、島への訪問や移住に向けた準備開始の意味も込めている。

 同プロジェクトの代表を務める小林さんは、こう話す。

「部員数が足りない中で、自分たちのできることをしたいと言う3人の生徒と一緒に、どうすれば島のバレーボールの歴史とその伝統を未来につなげられるかを、メンバーたちと何度も話し合いました」

 そんなプロジェクトの目玉企画となったのが、中田久美さんが参加するバレーボールイベントの開催だ。なぜ中田さんは、再び島を訪れることになったのか。

20年前の“生徒”が中田さんに手紙を送ると…

 実はこんな経緯があったと、同プロジェクトメンバーで大島高校農林科教員・バレー部顧問の金子雄さんは話す。
 
「20年前に中田さんからコーチングを受けた大島高校の生徒の中に、卒業後も中田さんと連絡を取り合っていた女性がいたんです」

 彼女は高校卒業後、内地に行った際に中田さんと食事をしたり、身内が亡くなった際には中田さんから花を贈られたりしていた。そして今年、プロトコールプロジェクトの発足を受け、あらためて中田さんに手紙を送り、大島高校バレー部の現状と、伝統を未来につないでいきたいこと、そして中田さんにまた島に来てもらいたいことを伝えた。

 すると中田さんから、こんな電話がかかってきた。

「大島に必ず行くよ! 私にできることはなんだろう?」

 そして中田さんは、元日本代表・野本梨佳さんにも声をかけた。こうして中田さん、野本さんの2人を招いての一大イベント「大島まるごとバレーボールDays」は、大島高校体育館にて、2022年8月23日・24日の二日間にわたって開催された。

 イベント当日の様子について、小林さんはこう振り返る。

「一日目は、小学生・中学生・高校生が混在するチームを組み、上級生が下級生を助けながら練習や試合形式のゲームを行いました。二日目は、中田さんが監督を務める中高生チームと、山本さんが監督を務め、野本さんが選手として入る大人チームに分かれ、審判を付けての“ガチンコ勝負”を行いました。

大島まるごとバレーボールDays当日の様子

 そうした中で中田さんと野本さんからは、体の使い方や練習方法など、一流ならではのアドバイスをいただきました」。

 金子さんは、こんな場面が印象に残っていると言う。

「中田さんは、試合でミスしてしまった子の肩に手を置いたりして、ずっとフォローしてくださって。すごく気配りをしてくださる方なんだなと思いました」

 こうして“世紀の”バレーボールイベントは、島民をはじめさまざまな人の協力を受け、多くの人を巻き込みながら、成功裏に終わった。イベントの最後には、スピーチをした中田さんが感動の涙で声を詰まらせる場面があった。

 果たして「伊豆大島プロトコールプロジェクト」は、大島に何をもたらしたのか。

大島を「バレーボール合宿の聖地」にする

 それについて、小林さんはこう語る。

「こうしたイベントを経験することで、子どもたちのバレーボール熱は確実に高まり、高校でバレー部に入る子も増えたらいいなと思っています。また今回は、中田さんと野本さんの来島をきっかけに、島のバレーボールのカテゴリーや垣根を越えたイベントとなりました。この先大島が“ワンチーム”で何かに取り組むための、小さいながらも確かな一歩になったと感じています」

 既に、島内に三校ある中学校の生徒が水曜日の放課後、大島高校の練習に参加できる“開放バレー”の取り組みが始まっていて、プレーヤーはもちろん、指導者や大人も含めた関係者たちの交流は深まりつつある。中田さんから気遣いの声をかけられた生徒も、率先して開放バレーに仲間を連れて参加していると言う。

開放バレーの様子

 また金子さんは、こんな“波及効果”も見据えている。

「島で何かを始めるのは容易ではなく、さまざまな“ハレーション”も起きますが、子どもたちと一緒に頭を悩ませながらそれを乗り越え、ワクワクするものを作っていく。そうした大人たちの姿を見せることで、大人になっても島とつながりたいと思う子が、着実に増えると思います」(金子さん)

 そして同プロジェクトでは2023年1月、内地の中学生チームを招き、バレーボール大会と島観光、さらには島の専門家による防災ワークショップを組み合わせたモニターツアーを開催した。

「この先は『中田久美カップ』みたいな形で、バレーボール大会を定期開催していけたらいいですね。島という非日常的な場所で合宿を行い、試合や練習が終わったら、海をはじめ大島を存分に楽しんでもらう。そんな形で、大島を『バレーボール合宿の聖地』と呼ばれる場所にすることが、プロジェクトの一つのゴールと考えています」(小林さん)

 そうして大島でバレーボールが盛り上がれば、2025年度から島で導入予定の離島留学(島外からの生徒を島内の学校で受け入れる制度)にも弾みが付く。そうすれば、当内外の多様な生徒がワンチームとなって大会を勝ち上がっていく“新生大島高校バレーボール部”も、現実味を増す。

 バレーボールが大島で起こした、ちょっとした奇跡の物語。そして物語を前へ進めるきっかけとなった、東京宝島アクセラレーションプログラムの取り組み。この“大島バレーボール伝説”を貴重なアセットとする同プロジェクトが、島に今後どんな影響をもたらすのか、楽しみにしたい。

大島の夜明け

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