2016年に採択された上智大学の研究ブランディング事業は、「持続可能な地域社会の発展を目指した『河川域』をモデルとした学融合型国際共同研究」

上智大学大学院 地球環境学研究科 教授
上智大学 地球環境研究所 所長
黄 光偉 氏

 実施責任者の黄光偉教授(地域環境学研究科)はこの事業を、「『水』を軸としてサステイナビリティを研究するプロジェクト」と紹介する。
「国内外の湿地、河川流域がフィールド。湿地をどのように保全と賢明な利用をし、水害のリスクをどうやって管理していくかを研究しています」

湿地というフィールドに多彩な研究のエッセンスを注ぐ

 湿地は生産性の高い生態系だ。しかし社会経済活動、都市化などにより、多くの湿地が消失し、1990年以来世界の60%の湿地が消えたといわれる。
「湿地がなくなると水害リスクが高まる。湿地によってとどめられていた水が住宅に流れ込む事態が起こりやすくなるのです」と黄教授は指摘する。
「逆に、ダムの建設のような水害対策は、湿地の生態系や水質にマイナスの影響を与えることもある。湿地の保全と水害マネジメントは、実は密接につながっています」

「湿地・河川流域の環境に人間の経済活動が与える負荷を小さくし、社会経済利益と両立させなければならない。そのためには、環境・経済・社会の領域にまたがる多面的な視点が必要なのです」という。

「従来はそれぞれの領域で個別に研究されることが多かったのですが、環境問題は総合的な課題。私たちのプロジェクトはもっと総合的な研究で、河川・湿地チーム、土壌・微生物チーム、社会・経済チーム、法律チームに分かれてフィールドに臨みます」

「私たちのプロジェクトでは、フィールドごとに各領域の専門家が、分野の境界を越えて研究成果や視点を混ぜ合わせ、解決策を探る。工学的な手法や、社会科学・人文科学的な手法、マクロ/ミクロの視点が溶け合って新しい解決策という『味』を作り出す。私たちはこの研究手法を『鍋』に見立てて、『学際研究』ではなく『学融合』と呼んでいます」という。

フィールド①チャオプラヤ川流域

 プロジェクトが始まって3年半。フィールドは広く、国内では、北はサロベツから、渡良瀬遊水地、手賀沼、多摩川、佐潟・瓢湖など多くの河川・湖沼流域にまたがる。国外では、タイのチャオプラヤ川流域、中国の黒河流域、インドのケララ州沿岸が拠点だ。中でも、タイのGDPの7割を生み出すチャオプラヤ川流域では、すでにさまざまな研究領域で研究成果が出ている。
「3年に亘って水質の変動を調査しました。このあたりは雨季が長いのですが、雨季の前半は汚染物質が雨によって川へ運ばれ、後半になると川の中で希釈されて浄化される。雨季における川の『汚染受け皿と掃除役』としての両面があったことが分かりました」

「さらに、藻類の群集の生物学的な調査では、蛇行している区間に毒性のある藻類が優先していることが分かった。微生物、藻類と河川形態との関連も調べています」

 河川・湿地チームが化学的・生物学的な定量的調査をすることだけではなく、「水害に関して、『仏教国のタイで川沿いの寺院を防災拠点にできないか』という取り組みも行っています。また、『チャオプラヤ川流域に進出しているの日本企業が水害対策面でどういった社会的役割を果たしているか』という社会研究も進めています」と黄教授。「これらのテーマを融合させて現地の研究者と一緒に論文を書き、現地の省庁(王立灌漑局)に提言を予定しています」という。

上智大学 国際教養学部 准教授
伊藤 毅 氏

 社会・経済チームの伊藤毅准教授(国際教養学部)は、環境問題に関する日本とアジアの関係にも注目する。

「現在、社会・生態システムの相互関係の視点から、環境・資源がアジア経済圏の発展に果たした役割について、チュラロンコン大学政治学部と共同研究を行っています。過去150年のアジア経済圏の発展、特に日泰の経済関係をみると、資本蓄積プロセスに環境・資源を恒常的に供給し、そのプロセスを止めないように環境・資源を保全する仕組みを構築することが重要です。勢いを増すアジア経済圏において、各国の経済的結びつきだけでなく、環境的結びつきもより一層深まっています。2011年にタイで起きた洪水により、日系企業のサプライチェインが遮断され、日本とタイの経済だけでなく世界経済にも大きな影響を与えました。今、そうした社会・生態システムの相互関係の視点から、グローバルそしてコミュニティの公共政策を考えることが必要です」と問題提起する。

フィールド②渡良瀬遊水地

上智大学 理工学部 物質生命理工学科 教授
齊藤 玉緒 氏

 足尾銅山・渡良瀬遊水地も、このプロジェクトがチーム横断的に取り組むフィールドのひとつ。土壌・微生物チームの齊藤玉緒教授(理工学部物質生命理工学科)は、足尾鉱毒事件による鉱毒の無害化のために作られた渡良瀬遊水地で、植物・微生物の解析を進めている。
「2年間のサンプル収集で、ストレス応答遺伝子が植物で働いていることがわかりました。まだ重金属の汚染が残っていること、植物が重金属を吸い取ってくれていることが分かります」

「微生物を調べても、環境ストレスに強い種類の微生物が集まっている。微生物にとっても厳しい環境ということです」

上智大学 外国語学部 英語学科 教授
小川 公代 氏

 植物・微生物の役割を解明する齊藤教授の隣で、社会・経済チームの小川公代教授(外国語学部英語学科)は、渡良瀬遊水地の社会的側面に光を当てる。「この地域は単なる水源ではありません」と小川教授。

「渡良瀬を描いた文学もあり、作家と研究者のあいだに共通の問題意識も感じます。私たちは、人間社会と環境の関係性だけでなく、足尾銅山の汚染の問題をパーソナルな視点でとらえつつ、この地域の水の問題はすごく多層的なのだと伝えたい。来年2月には、小説『渡良瀬』(伊藤整賞受賞)の佐伯一麦氏を特別講演者としてお招きして渡良瀬遊水地をテーマにしたシンポジウムを予定しています」という。

めざすもの

 各チームの研究の重なり合いに、「共通のフィールドに入ってもらい、違う視点を持ち込んで研究してもらう中で、多角的な視点の融合がすでに生まれてきている」と喜ぶ黄教授。チームをまたいだ研究成果の報告会は定期的に行われている。
「個人の幸福、人間の福利のためには、環境をよくすることが不可欠。さらにそれを経済活動の活性化につなげなければならない」

「私たちは多角的な研究を通じて、より良い水環境管理のフレームワークを提案したいと思っています。水質・微生物の調査だけでなく、文化も含めた広い意味での『河川・湿地の健康診断』や『湿地保全対策の評価』をしていきたい」と意気込む。

<取材後記>

 今後は「学融合」の研究手法を確立させ、教育に還元するのも目的のひとつだと黄教授はいう。

 研究成果を持ち寄る「盛り合わせ」型の「学際研究」から一歩進んだ、「学融合」という名の「鍋」。さまざまな分野を行き来する教授陣の話を聞きながら、すでに新しい視点という「鍋」を味わっている気持ちになった。
 

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