どうして日本には起業家がこんなに少ないのだろうと考えたとき、いつも私はこの結論に至ります。
学校教育が、すなわち社会そのものが、サラリーマンと官僚を大量生産するために作られているからです。
教育システムの全体像
日本の教育というのは、「我慢を強いるシステム」です。幼稚園から集団行動が始まり、協調性を叩き込まれ、成績で優劣をつけられ、受験による勝ち抜き戦が行われます。大学教育でも大差はありません。
何をやっているかというと、サラリーマンとしてやっていけるかどうか、ふるいにかけているんですね。
小学生の頃から勉強ができない子や、集団行動に馴染まない子ははじき出され、居場所は無くなり、家庭でも「ろくな大人になれない」なんて言われます。「ろくな大人」とは一生涯、サラリーマンとして耐え忍ぶことができる人のことです。今の教育システムにおいて、サラリーマン・官僚になれる人以外は負け組なんですよ。
大学から就職活動まで途切れずに勝ち抜き戦は続き、恐ろしいことに入社後の教育・研修でも続きます。「社会の歯車」なんて言いますけど、歯車として機能している人は、勝ち組です。
その競争の最終勝者が大企業の経営者になるのであって、このシステムでは経営者は職業というより、優勝者に与えられるトロフィーのような扱いになっています。
世の中は変わったが、教育は変わっていない
どうして日本の教育がこんな仕組みになっているかというと、戦後復興からの高度成長社会を前提にして組み立てられているからでしょう。