フランスのアルザス地方といえば、良質のワイン、数々の美食、カラフルな木造の家々、幻想的なクリスマスマーケット(参考:東京で開催されたマルシェ・ド・ノエル)と、のんびり過ごせる観光地としてのイメージが真っ先に浮かぶ。
アルザス最大都市のストラスブールから南へ30分のコルマール市も、まるで、おとぎ話に迷い込んだかのような中世の街並みが残る。ここは世界中からの観光客でにぎわい、日本人には宮崎駿の映画「ハウルの動く城」のモデルになった街としても知られている。
このコルマール市郊外に日本との学術的・経済的交流、そして若者の人的交流を促進し、アルザスの一般住民向けに文化的な催し(日本映画、写真、書道、伝統芸能など)を開催する非営利機関「アルザス・欧州日本学研究所(CEEJA)」があると知って、とても興味をそそられた。
ここでは、「ミスタージャパン」と地元で呼ばれるアンドレ・クライン所長を筆頭に、研究スタッフ全員が日本語を話し、遠い日本との交流を盛んに行っている。
フランスの地域で多くの日本人が関心を寄せるのはやはりパリや南仏だが、なぜアルザスは日本との結びつきが強いのか。疑問を解こうとCEEJAを訪ねた。熱い思いを胸に秘めて働く日本人スタッフの徳江純子が、詳しい話を聞かせてくれた。(文中敬称略)
「ミスタージャパン」が日本企業を誘致
ヨーロッパ大陸で日系企業が集中している場所として思い浮かぶのは、ドイツのデュッセルドルフだが、コルマールを中心としてアルザスにも日系企業(主として技術・工業・科学系)が多いとは知らなかった。
これらは、CEEJAのクライン所長がアルザス開発公社総裁だったときに誘致した。アルザスの経済発展を支援する同公社は「アルザスに海外企業を誘致すれば雇用が増える。その企業は日本がいい」と日本に特定した。それはどうしてか。徳江はこう説明する。
「ときは1980年代で日本の経済状況が非常に好調だったことは、やはり理由の1つですね。それとアルザスは日本との結びつきが長く、親日的な雰囲気があることも関係していました。
両国の交流の始まりは明治維新の直前、江戸時代末期までさかのぼります。日本は開国に向け、フランスやドイツを参考にしようといろいろと調査を行いましたが、アルザスで染織業が栄えているということも当然耳に入ったのでしょう。それで、日本から反物が運ばれてここでプリントされて日本で売られたり、業者たちが新しい染織技術を学んだりしたのです。
一方、アルザスの染織業者たちも、日本の技術を学びました。ろうけつ染めなどです。日本人から見よう見まねで学んだ過程の資料が、ミュールーズ市染織博物館に残っています。面白いのは、根付など当時の日本の工芸品や美術品も、非公開ですが同美術館で所蔵していることです。日本の染織業者がアルザスの人たちへ贈ったものと考えられます」