東京・三宅坂の国立劇場で開催された9月の文楽公演の第二部には「伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)沼津の段」がかかった。

 生き別れになっていた親子が偶然、再会したものの、仇討ちの敵味方に分かれていたために、永遠の別れを迎えることになってしまった悲劇の物語。文楽の数ある演目の中でも屈指の人気を誇り、劇場入口には連日「満員御礼」の札が出た。

束の間の親子水入らずを取り持った旅荷物

 武家屋敷にも出入りする豊かな商人の十兵衛は、東海道を西へと旅する途中、沼津(現在の静岡県沼津市)のあたりで、わずか2歳の頃に生き別れとなった父・平作との再会を果たす。

 この時点では、まだ、親子であることに気づいていない2人の間を橋渡しするのが、旅の荷物だ。人足として、日銭を稼いで糊口をしのぐ平作は、十兵衛に「だんなさん、今日はまだ、稼ぎがなく、銭を見ていません。どうぞ、荷物を持たせて下さい」と泣きつく。荷物は、息子から父親へと託される。

 江戸時代の旅の荷物は「振り分け箱」と呼ばれるもの。便利なキャスター付きスーツケースなどなかった時代だ。長い棒の両端に縄で行李をぶら下げて、天秤のように担ぐことで、重みを分散させる工夫をしている。しかし、年老いた平作は、重たい荷物を上手く担ぐことができず、木の根につまずいて足をけがしてしまう。

 十兵衛は持っていた薬を平作に付けてやり、さらには「もう、見ていられないから荷物は俺が持ってやる。駄賃はやるから」と、人足に託した荷物を結局は自分で担いで歩き出す。依頼主が荷物を持ち、人足がついて歩く珍道中。荷物が、束の間の親子水入らずのひと時を演出する。

小道具の中から慰問箱

 しかし、この「荷物」そのものに、さらなる大きなドラマが隠されていたのだ。