京都に学舎を構える同志社大学は、キリスト教プロテスタント系の会衆派教会(組合教会)の流れをくんだ大学。「キリスト教主義」「自由主義」「国際主義」の理念のもと、「良心教育」を展開している。

鎖国を行っていた日本を離れ、米国アーモスト大学で学んだ新島襄は、1875年に「同志社英学校」を創立した。これが、現在の同志社大学の礎となる。当時、勝海舟にむかって新島は、「大学の完成には200年かかる」と述べたとされる。この言葉の真意は、「自分を受け入れた大学と同様の水準にするには、ひとりの人間が生まれて死ぬまでの時間より、遙かに長い時間が必要である」ということだろう。一般に「伝統ある大学」と認識されている同志社大学ではあるが、新島の言葉を考慮すると、創立140周年を迎えた同校が完成するまでに、まだ60年はかかるということになる。

創立者 新島襄

 

同志社大学はこの10年で大きく変化し、学部・研究科の新設・再編により14学部・16研究科を擁する全国でも有数の規模を持つ総合大学となった。さらに2016年度以降にグローバル・リベラルアーツ副専攻(仮称)を設置し、教養教育を英語で提供するプログラムを開始する予定だ。
 

開国を迫られた幕末の危機感が今日的な課題を帯びる

 近年は、インターネットが国と国との距離を縮めている。世界に目を向けると、文化や思想、宗教などが異なる国同士が、これまで以上に密接にかかわりあいながら、新しい社会を形成しようとしている。これまで争い合っていた国同士が手を結び、ヒト・モノ・カネ・情報を流通させていることも珍しくない。

一方、日本国内に目を移すと、急速な少子高齢化と共に国力が衰退しつつある。国内問題が山積し、その対応に追われている状況の中、地球規模で急速に進むグローバル化の波には乗り遅れている格好だ。危機感を持った教育機関や政府が、声高に「グローバル」を標榜しても、現実はそこまで追いついていない。もともと多民族社会ではない日本では阿吽の呼吸で物事が進む事が多いが、グローバル社会では通用しないのだ。まずはそういった根本的な意識の違いを現実問題として認識する事が喫緊の課題といえるだろう。

この現在の状況は、欧米列強各国が日本に対して開国を迫った幕末から明治維新までの時代と酷似している。言い換えるならば、当時の日本が抱えていた危機感・問題意識が、「グローバル」という今日的な課題を帯び始めているのだ。

「激動の時代を生きた新島襄は、その人生においてグローバルな資質を身につけてきた人物である。大学のグローバル化が求められる現在こそ、この新島の資質が必要とされている」と、学長の村田晃嗣氏は熱く語る。世界に目を向けると、人種・宗教・性別・政治・思想などにおいてさまざまなマイノリティが存在している。そのことを、単一民族である日本人は、あまり理解できていない。「たしかに、外国語でのコミュニケーション能力も必要だ。しかし、グローバル社会を生きる人たちにとって何よりも必要なのは、マイノリティに関するセンスを持つことである」(村田学長)。

同志社大学 学長 村田 晃嗣 氏


異なる文化を背景とする人とコミュニケーションが必要となるグローバル社会では、日本人特有の「空気を読む」といったコミュニケーションは成り立たない。背景に持つ文化が異なるということを理解した上で、お互いの意思疎通を図るセンスが必要とされているのだ。

「文明の本質を学び、祖国の近代化に役立てたい」という志を持ち、国禁を犯して渡米した新島襄。アメリカで学び、生活する中で、グローバルな資質を身につけてきたという。彼の出した答えの1つが、同志社大学の設立だ。その同校が、今日的な課題に対してどういった答えを出そうとしているのだろうか。その答えは、同校の「方針(ビジョン)」に現れている。
 

「グローバル」は大きく飛躍するためのきっかけになる

 同志社大学では、創立150周年を10年後に控え「同志社大学ビジョン 2025」を策定した。これは、同校創立150周年に向けてさらなる飛躍を遂げるための土台であり、大学完成の集大成につなげるものでもある。このビジョンを読み解くと「中期目標」と「優先課題」の2つの部分からなることがわかる。

「中期目標」は、同校に内在する問題に対してどのような方向で展開していくのかを明記したものだ。この中で「キリスト教主義」「自由主義」「国際主義」という3つの基本理念と「教育」「研究」「卒業生との連携」「社会貢献」という4つの社会的使命とを関連づけ、それぞれに具体的な目標を定めている。

「優先課題」は、国内の大学すべてが直面している普遍的な課題を明記したものとなっている。具体的には、(1)教育の質の向上を目指す「学修環境のグランドデザイン」、(2)自発的な学習や課外活動など人的交流を通して行う「キャンパスライフの質的向上」、(3)研究のさらなる活性化を目指す「ボーダレスなコラボレーションによる創造的研究活動」、(4)求める学生を確保するための「プロセスとしてのアドミッション・ポリシー」、(5)教育のみならず社会的使命を果たす上での取り組みである「トータル・グローバリゼーション」、(6)基本理念や社会的使命を実践する取り組みを社会に効果的に伝える「広報戦略とブランディング戦略」の6つからなる。これらに対し、それぞれ「アクション・プラン」を策定して、継続的な検証と評価を繰り返す展開していくことになる。


「中期目標」と「優先課題」からわかるのは、課題には「内在的」「外在的」な要因があるということだ。この双方に対して方針を決め、それぞれに対して真摯に取り組むことで、大学の完成を目指していく。その活動は、問題意識や危機感を昇華し、新たな時代を作ることにつながっていくのだろう。

日本を近代化へと推し進めるきっかけとなった「開国」。現在の「グローバル」も新たな飛躍のきっかけだ。「開国」と同様に、グローバルに対しても真摯に対応することで、日本は大きな成長を遂げることになるのだろう。「同志社大学ビジョン 2025」からは、これからの日本のあるべき方向と同志社大学の決意を感じ取ることができる。
 

<取材後記>

 取材の中で村田学長は「大学の使命は、多感な時期の学生たちが、文学であれ政治であれ、損得・利害に絡み取られることなく純粋に議論するための空間と時間を守り抜くことだ」と語った。学生たちに対して、何かに熱中し没頭する環境を提供するという決意表明だ。そのために「キャンパスの中の静寂」を守りたいとのこと。

今や「就職活動」や「社会連携」の名の下、大学の中から静寂さが失われつつある。社会の波が大学を飲み込もうとしているのだ。もちろん、大学は学生たちを社会に送り出すための準備も必要だ。しかし、それ一辺倒では企業の研修所となってしまう。その危機感は大きい。

大学には、「静かな環境を守りつつ社会に送り出す準備をしなければならない。一見相反する二重のミッションがある」と村田学長は言う。細かな気配りは愛に包まれている。この言葉を聞いて、同校に学ぶ学生は幸せだと感じた。


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