1990年代に急速な経済発展を遂げ、鴻海、エイサーなど数々の世界的なエレクトロニクス産業を擁する台湾。1895年からの50年間の日本統治時代を経験し、文化的にも経済的にも日本とのつながりが強い。親日派も多く、顔かたちや体型など外見的な共通点も多いために、日本人にとっては親近感の湧く存在だ。
ところが、漢民族の土着的な宗教である道教が根付いた台湾人の生活習慣は、日本と似ているようで似ていない点も多い。道教の考え方、台湾の人たちの世界観を知ることが、台湾を理解し、経済関係を強化させるきっかけになるかもしれない。学生時代から台湾の農村部に入り、道教の儀礼研究を続けて浅野春二教授の特別講義にようこそ!
神様が聞き届けてくれた確証が欲しい!
台湾で「あなたが信仰する宗教は?」とアンケートを採れば、「無宗教」と答える人が圧倒的多数になるはずです。台湾の人は困ったことがあれば「廟」にお参りに行き、神様や仏様にいろいろとお願いごとをするのですが、「何らかの宗教を信仰している」という意識は希薄です。日本人が、「積極的に信仰しているわけではない」のに、何か頼みごとがあるときに、神社や寺で参拝するのと似ています。また、特定の「廟」だけにお参りするわけではなく、縁結びに良い、受験に効くなど評判の廟があれば、気軽に遠くまで出掛けていきます。神様・仏様にすがる気持ちはあるけれど、その時々で使い分けるという大雑把なスタンスも両者に共通することろかもしれません。
その一方で、明らかに日本と台湾とで「神様」との付き合い方が違うと感じるのは、神様から何らかの利益を得ようとするときに、かならず神様と「取り引き」をするというところです。
台湾の人がお参りをするときには、簡単な供物を供え、線香を上げて、心の中で(あるいは小さな声で)「私はどこの誰それです」と名乗ります。ちゃんと住所・氏名を細かくいうのです。そうしてから「これこれこういうお願いがあります。」と願いごとをいいます。そのあとおもしろいのは、「願いがかなったら、こういうお礼をします」と願ほどきの約束をすることです。そうしてから「ポエ」と呼ばれる半月形(半月よりも少し欠けたくらいの形)の道具で、神様が自分の願いを聞き届けてくれたかどうか占います。
「ポエ」は平面が「陽」、丸い膨らみがある方が「陰」を表し、ポエを投げて3回続けて「陰・陽」が揃うと、神様が聞き届けてくれた証しとします。
なかなか「陰・陽」が揃わないときは、お礼の供物をだんだんとより豪華なものにしていって、ポエを投げて交渉を重ねます。はじめは「果物」や「お菓子」だったのが、「豚の頭もお供えします」、「豚一頭を丸ごとお供えします」とエスカレートしていき、果ては「道士を雇って盛大なお祭りを挙行します」というような約束をするようなこともあります。神様にお願いごとをするというのは「取り引き」であり、神様との関係は、お互いに与え与えられるような互恵的な関係であると考えているようです。私たちからすると、少々違和感を覚えるようなところもありますが、人々の切実な思いが、こうした「取り引き」にこめられているともいえます。
ポエは台湾の暮らしと切っても切れないもので、「廟」には何組かポエが用意されていて、願いごとをするために、何時間もポエを投げ続けている人を見かけることがあります。
死亡時刻ねつ造は日常茶飯事?
「ねつ造」といったら、ちょっといいすぎかもしれませんが、私たちから見ると、人の死亡時刻を、故意に改ざんしているのではないかと思えるような場合があります。漢民族の儒教的な伝統では、応接間と仏間を兼ねた「正庁」という部屋で息を引きとらなければならないという習俗があります。他の部屋で寝ていても、いよいよだなという時が近づくと、正庁の仮の寝床に移します。息を引きとる場所というのが、非常に重要なのです。
都市化が進み、最近では、病院で息を引き取る例が多いのですが、「正庁で息を引き取らないと、天国に行けない」という考え方は根強く残っていて、特に田舎のほうでは、そうした習慣を重視しています。だから、病院で息を引き取っても、死んだことにはしない場合があるのです。
ポンプを手で押して空気を送るだけの、簡単な「人口呼吸器もどき」をあてがい、看護師が付き添って、救急車でサイレンを鳴らしながら大急ぎで自宅に送り届けます。正庁のベッドに移したところで、呼吸器もどきを外して、そこで死亡したことにして、死亡時刻を確認します。親類や知人に出す死亡通知にもその時刻を記します。占いで葬儀の日取りを決めるときにもその時刻を使います。
死者供養は、道教の道士や仏教の和尚に依頼して行います。道教の儀礼では、赦し状を天から得て地獄に送り届ける儀礼や、地獄の門を破って中から死者を救い出す儀礼が行われます。地獄から自分たちの亡くなった父や母の霊を救い出すという深刻な、また真剣な場面ですので、写真の撮影を拒否されることもあります(特に地獄破りのとき)。しかし、それにもかかわらず、そうした儀礼には、コミカルな要素が織り込まれています。たとえば、地獄への道行きを表す場面では地獄への道のりの険しさを表現するために、若い道士がアクロバティックな動きをして、わざと転んで、参列者の笑いを取ることもあります。また、道士が地獄の門番と問答する場面では、だじゃれを織り交ぜながら、アドリブを効かせて、盛り上げることもあります。
悲しいはずの死の儀礼に、笑いの要素が織り交ぜられているのは、私たちには違和感がありますが、こうした漢民族の伝統では「悲しいときこそ、笑いを補わなければならない」というような、陰陽のバランスを取る考え方がなされます。かつては、死者供養の儀礼も徹夜で行われ、深夜から明け方にかけては、道士が役者になって伝統的な芝居が行われました。そうした芝居は今はほとんど見られなくなってしまいました。むかしはそうした芝居も地域の貴重な娯楽となっていたのです。しかし、工業化、都市化が進むにつれて、こうした儀礼は、夜11時くらいには終えるようになっしまいました。それでも日本の葬式や法事に比べたら、長時間にわたる(短くても9時間以上!)、手のこんだ儀礼であるといえます。人手もかかりますから、費用も相当なものになります。
台湾で行われている祭りや葬儀を見ていて気づくのは、物事を目に見える形に、具体的に分かりやすく表現しないと納得できないというメンタリティの存在です。葬儀関係でいえば、死者を救う手続きで、天から「赦し状」をもらったり、それを届ける役人を呼び出して地獄に持っていかせるときに、人形を使ってその役人に酒を飲ませ、馬に馬草を食わせたり、死者のためにあの世の家を用意して、土地の権利書も作って、焼いて届けたりしています。死者の家は、竹や紙で内装や家具まで細かく作るのですが、専門の職人に頼むので、これが日本円にすると何10万円にもなることがあります。その一方で、気の理論や陰陽五行など非常に抽象的な概念や理論で物事を考える、そうした一面も持っています。台湾の人々、漢族の人々を理解するときには、こうした点に注意しなければならないかもしれません。
台湾の人と我々日本人、外見も似ているし、話をすると気持ちも通じる。親しくなると、情に篤く、心の温かい人が多いので、すぐにわかり合えるような気がしてしまう。しかし、意外なところで違う部分もあるかもしれない。外見で安心してわかった気になってしまって、思い込みで付き合うのではなく、相手のことをよく知ろう、解ろうということを常に意識した方がいい。相手がどんなことを感じているのだろうかという想像力を働かせ、日本での価値観を押しつけないような配慮も必要でしょう。
<取材後記>
「陰陽が揃えば神様が聞き届けてくれた証し」となるポエ占い、客観的に考えれば、陰と陽が揃うのは単なる確率の問題なのではないかと思う。しかし、浅野教授は現地で何度も不思議な場面に遭遇しているそうだ。たとえば、死者を地獄から救い出す儀式の後のポエ占い。「高齢者が大往生すると不思議に陰陽は一発で揃う。
ところが、不慮の事故や、若い人が子どもを残して死んだ場合には、何度ポエを投げても、なかなか陰陽が揃わないことが多いのです」と言う。普段着で何度投げてもダメで、儀礼服を羽織った途端に上手くいったこともあったそうだ。果たして、確率論では説明がつかない不思議な力が、世の中には存在しているのだろうか。
ハイテク産業の一大拠点となった台湾で、道教儀礼が今も脈々と引き継がれているのも、理屈では説明できない。近くて、不思議の国、台湾を訪れてみたくなった。