2014年10-12月の「ウフィッツィ美術館展 黄金のルネサンス ボッティチェリからブロンヅィーノまで」(東京都美術館)、2015年3-6月の「ボティチェリとルネサンス展」(Bunkamuraザ・ミュージアム)で、ボティチェリの日本初公開や、34年ぶりに公開される作品などが話題を集めている。
ボティチェリはルネサンス期にフィレンツェで活躍したイタリアの画家。「プリマヴェラ」「ヴィナスの誕生」など美術の教科書などで誰もが一度は目にしたことのある作品を残しているが、日本での知名度は圧倒的という程でもない。にもかかわらず、ボティチェリの大型企画展が続くのには、ちょっとした理由がある。
実は、2013年は春に国立西洋美術館でラファエロ展と東京都美術館でレオナルド・ダ・ヴィンチ展、秋に国立西洋美術館でミケランジェロ展とルネサンスの三大巨匠の展覧会が集中した。「さすがに、2014年は三大巨匠は扱えない」という空気がある一方で、「とはいえ、ルネサンス美術の集客力は絶大」なため、2番手グループのボティチェリに白羽の矢が立ち、偶然にも複数の美術館が同時並行的にボティチェリを目玉にした企画を進めたということのようだ。
繰り上げ当選的にスポットライトが当たった人―と思うと、ちょっとだけボティチリに親しみが湧いてくる。さらに、もう一歩踏み込んで、フィレンツェという土地の盛衰とシンクロしたボティチェリの半生を知ればさらに美術展がもっと面白くなる。「絵画を読む」という楽しみを教えてくれる、國學院大學・小池寿子教授の特別講義にようこそ!
「パラスとケンタウロス」の2つの意味
東京都美術館の「ウフィツィ美術館展」の目玉「パラスとケンタウロス」は、都内の主要駅などに張り出された大きなポスターで目にした人も多いと思います。
FOTO:S.S.P.S.A.E e per il Polo Museale della città di Firenze – Gabinetto Fotografico
右の美しい女性パラス・アテナは、ギリシャ神話に登場するオリュンポス12神の1人です。主神・ゼウスの額をかち割り、鎧を身につけた姿で出現したとされています。つまり、戦いの神であり、城塞都市アテネの守護神。左側の半人半馬・ケンタウロスは人ならぬ野蛮な存在を表しています。
大英博物館に保存されている古代ギリシャのパルテノン神殿の彫刻には、神々がケンタウロスなど蛮族を懲らしめる図像があります。それは、古代アテネ市民たちが、アテネを侵略してくる周辺民族を打ち負かし、征服しようとした時代背景を映したものです。ちなみに、ケンタウロスについては、初めて騎馬民族に遭遇したアテネ市民が、人が馬に乗っている姿を人馬一体の動物と勘違いしたという説もあります。それだけ、アテネの市民は外敵に対する驚異を感じていたということなのでしょう。
ボティチェリの「パラスとケンタウロス」は、伝統的なギリシャ神話の世界を再現しつつ、額から誕生したアテナが理性や知恵を司る女神でもあることを踏まえて、「理性が人間の欲望を抑える」「理性の勝利」を意味するアレゴリー(寓意)として、メディチ家を中心とする人文主義サークルの知識人たちにもてはやされたのです。知識人たちが、自分たちの知的な優越感を楽しむための含意がある絵なのです。
400年間、忘れられた存在だったボティチェリ
いまでこそ、三大巨匠に次ぐルネサンス期の代表的な画家として名前があがるようになったボティチェリですが、実は、彼の存在が広く知られるようになったのは19世紀後半。英国のラファエロ前派の芸術家に注目されるまで、400年間に渡って、ほぼ忘れられた存在でした。
ボティチェリは、メディチ家の当主、ロレンツォ・ディ・メディチに気に入られ、数多くの絵画を制作しました。「パラスとケンタウロス」「ヴィナスの誕生」「プリマヴェラ」、いずれもメディチ家が好んだギリシャ神話の世界を主題としたものです。
しかし、ロレンツォ・ディ・メディチが42歳の若さで亡くなったあと、メディチ家は急速に力を失います。メディチ家と入れ替わるように、フィレンツェの実質的な支配者となったのが、ドメニコ会修道士のサヴォナローラでした。ドメニコ会は厳格なキリスト教の宗派で、ギリシャ・ローマの神話の世界を「異教的なもの」として徹底的に否定し、メディチ家時代に制作された華やかな美術作品を破壊したり、焼き捨てたりしたのです。
ボティチェリは、強権的な新しい統治者・サヴォナローラに心酔し、メディチ家時代に制作した作品を自ら壊したり、手放したりして「二度と神話の世界は描かない」とまで宣言したそうです。しかし、サヴォナローラのあまりにも厳格なキリスト教主義的な政治は反発を招き、結局、暴徒化した市民に拷問され、最後は火あぶりで殺されてしまいます。
強烈な個性の統治者を立て続けに失ったフィレンツェは無政府状態となり、ルネサンスの舞台はローマへと移っていきます。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロはローマ教皇ユリウス二世に招かれたローマに拠点を移し、ローマでも多くの作品を残します。
ところが、ボティチェリは生粋のフィレンツェっ子。人生のうちでローマを訪れたのはたった1回だけ。三大巨匠たちよりも、一世代、年齢が上だったことも災いしたのかもしれませんが、フィレンツェが衰退しても、フィレンツェに残り続けました。しかし、後ろ盾を失ったボティチェリの老後は、貧しく惨めなものだったと言われています。
ギリシャ・ローマ神話の世界が花開いたフィレンツェ・ルネサンスの最盛期に生き、それが終焉したのと同時に、ボティチェリも歴史の舞台から消えていき、400年以上忘れられていた。まさに、「フィレンツェと供に死した男」なのです。
今、残っているボティチェリの作品は、サヴォナローラによるメディチ家時代の芸術作品の破壊を免れたもの。「パラスとケンタウロス」の中で、パラス・アテナが身につけているドレスのダイヤモンドを頂いた3つの指輪の意匠は、メディチ家の標章(インプレーザ)だったと言われています。また、身体の線を浮かび上がらせる透け感のある素材は、裸体を想起させますが、これも、キリスト教的に考えると、公序良俗に反する姿です。この作品が焼かれずに、現代にまで残ったのは幸運なめぐり合わせでした。
そして、ラファエロ前派が忘れられていたボティチェリを再評価してくれたからこそ、日本でボティチェリの企画展が続くという、画期的な場面に居合わせることができるのです。是非、この機会に美術館に足を運んで、ルネサンス期のフィレンツェへ、さらに、ギリシャ・ローマの神話の世界に思いをはせてみて下さい。
小池教授によれば、「美術史の研究者の多くは推理小説好き」なのだそうだ。画家本人が作品の解説を文字で残しているわけではない。しかし、歴史学や文学、哲学など周辺領域の知識を総動員させて作品に隠されたアレゴリーを読み解いていくと、作品に閉じ込められた時代の空気や、画家の人生観までが少しずつ見えてくる。それは、推理小説を読みながら謎解きするワクワク感と同じなのだという。
予備知識がなくても、その美しさで私たちを圧倒してくれる美術作品も多い。しかし、素人の私たちも、ほんの少しだけ「絵画を読む」知識を事前に仕入れておけば、美術展に足を運ぶ楽しみが何倍にも増えるように感じた。