30歳代以上の人なら、きっと覚えているのではないだろうか。1993年8月生、東京都昭島市に生まれた赤ちゃんの名前が日本中で話題になった。

 両親が市役所に提出した出生届けの名前は「悪魔」。「悪」も「魔」も名前に使うことができる常用漢字だが、あまりにも特異な名前だったため、市役所は法務局に判断を仰いだ上で、「子どもの福祉を害する可能性がある」として不受理とした。その後、両親が家庭裁判所に不服申し立てをしたことがきっかけとなり、「悪魔ちゃん」は、連日、ワイドショーや新聞の社会面を賑わす騒動となった。結局、この赤ちゃんには、音が類似した別の名前がつけられて決着したのだが、親の命名権について考えさせられる出来事となった。

 中国古代書法研究の第一人者で、漢字のプロである國學院大学・佐野光一教授は「“悪”という文字は、“善”の対立概念として、ネガティブなイメージで理解されていますが、人名では、ずば抜けて優れたという意味があり、力強さを表す言葉でした」と解説する。

國學院大學 佐野 光一 氏

 

 たとえば、平家物語に登場する義経・頼朝の異母兄・義平の幼名は悪源太。悪人ではなく、むしろ『勇猛な源家の長男』というポジティブな意味が込められた名前なのだそうだ。
佐野教授は「漢字の意味まで遡って考えれば、悪魔(亜熊?)ちゃんという名前も、案外、おもしろい名前だったのかもしれません。最近、流行しているキラキラネームの方がよっぽど問題だ」という。

 パソコン・インターネットの普及で、一昔前と比べると、筆やペンをとって肉筆で文字を書く機会はめっきり少なくなった。しかし、日本人の生活・文化と漢字は切っても切れない関係にある。3000年の歴史を持つ漢字の奥深さに触れると、きっと、ペンをとりたくなるはず。佐野光一教授の特別講義にようこそ!
 

音重視のキラキラネームには、親の思いがこもっていない?

 日本語と違ってカナがないので、中国では外国人の名前も全て漢字を充てて書きます。同じ人物でも、その時々で違う文字を充てていることがあって、これがなかなか面白い。たとえば、旧ソビエト連邦の最高指導者スターリンにも複数の表記があって、好意的な文脈で使われる時には「史達林」(歴史に達見のあった林さん)、中国とソ連の関係が悪化している局面では「斬大林」(大ぜい斬殺しちゃった林さん)を使っているのです。新聞を読んでいて、人物の名前だけでなく、関係性まで想像できてしまう。これが漢字の力であり、中国人は頭がいいなあと感心してしまいます。

 日本では、1980年代頃から「国際社会で通用する名前を」と、外国人にとって発音しやすい音を重視した命名が一種のトレンドになりました。最近は、それが度を超してしまったのか、外国人や漫画やアニメのキャラクターの名前を無理矢理漢字に当てはめた「キラキラネーム」と呼ばれる奇抜な名前を付ける親もいるようです。

 「音に漢字を充て込む」ところは中国人の発想と同じですが、音ばかりを考えて、それに伴った意味が欠落している。親たるもの、子の幸せを願って命名するはずなのに、名前が意味をなしていないということは由々しき問題。日本人がいかに漢字を大切にしなくなったかを象徴しているし、年をとって、ヘンテコな名前だったら可哀想とは思わないのでしょうか。キラキラネームは親の漢字力の低下を曝露しているのです。

 私は特に、漢代が専門ですが、当時の兵士の名前を見ると、ちゃんと親がいい名前を付けているのがわかります。たとえば「不病」。悪魔ちゃんに似ていて、現代人の感覚で言えば、名前に「病」の文字が入るのは違和感があるかもしれませんが、ここには「病気にならないで丈夫でいてくれ」という親の思いが込められている。

 「外国人が呼びやすい名前」という発想を否定はしませんが、名前は親の思いを託すものであり、漢字の意味までも考えて慎重につけてほしいところです。
 

漢字なくして、「日本」を語ることはできない

 漢字は甲骨文字まで遡れば3000年の歴史。4世紀末頃に日本で漢字が使われるようになってからだけでも約1600年と、アメリカ合衆国の歴史の6倍ぐらいの時を刻んでいます。

 もともと日本には独自の文字文化はありませんでしたが、大陸との外交・通商関係を結ぶために不可欠なものとして、渡来人を通じてもたらされた漢字を受け入れるようになりました。奈良時代には、遣唐使を通じて積極的に漢字の文化を取り入れ、中国で大流行した草書が、奈良時代の終わりには日本にも広まっています。後に、書道史上最高の能書「三筆」と呼ばれるようになる、嵯峨天皇、空海(弘法大師)、橘逸勢の3人はいずれも、平安時代、美しい草書の文字を残した人たちです。

 日本は単に中国から漢字を取り入れるにとどまらず、万葉仮名の草書体からさらに簡略化した平仮名を編み出し、仏教の経典を読みやすくするために片仮名を考案した。長い歴史の漢字を学び、さらに独自の文字文化を創り上げた。これは、東洋独自の漢字の歴史を背負った上に、独自の仮名文字まで作った。日本の柔軟性の表れです。

 中国人も日本人も文字に「美」を見出しました。だからこそ漢字が発達し、歴史の中で様々な書体が生み出されてきたのです。中国は文学の素晴らしさよりも、書の美しさの自覚の方が少し早く、後漢の終わり頃には「誹草書」という書論が著されたほど。誰もが美しい草書を書きたくて、一生懸命練習していました。秦の時代も、漢代も、役人に任ぜられるには美しい文字が書けることは絶対条件でした。日本でも平安時代、書は今よりもはるかに重視されていました。草書や仮名が美しく書けることが、1つの芸事。音曲や詩歌よりも、書は格の高い第一芸術でした。源氏物語の中にも、どんな美しい文字をどんな紙に書いた、どの色と取り合わせて書いたとか、書に執着している様子が描かれています。

國學院名物の「國學院どら焼き」
題字は佐野光一教授による執筆


グローバル化の流れは止めようもなく、世界を舞台に活躍する人も増えるでしょう。外国語が話せることも、日本という国が経済力を持っていることももちろん重要ですが、日本人としての誇りがなければならない。歴史的に日本人の社会や文化、精神面にも大きな影響を与えてきた漢字仮名なくして、「日本」を語ることはできません。グローバル化の時代だからこそ、改めて、日本の文字の美しさ、奥深さに立ち返る意味があるのです。

 

<取材後記>

 お札の「日本銀行券」の文字は「隷書(れいしょ)」というやや横長な書体で書かれている。佐野教授によると、隷書は、今から2000年以上を遡る秦の始皇帝の時代に、下級役人の徒隷が合理的で書きやすい補助書体として発展させたそうだ。当時は紙の発明以前で、木簡に文字を書く際に、柾目を横切る線を書きやすいように横角が長くなったと考えられている。そんな歴史を持った文字が、私たちが日々使う紙幣に使われていると思うと、改めて、日本の社会・文化は漢字に大きく依存しているのだと感じずにはいられない。ちなみに隷書はパソコンのフォントにも入っている。いかにも現代的な道具と、2000年の歴史の組み合わせも、また、面白い。

 

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