「うちの卒業生には、マスプロ教育では育むことができない“心の技術”が備わっている」

日本工業大学の波多野純学長が自信を持って語る言葉の裏付けとなっているのが、実験・実習・製図など、手を動かし、答えを出す体験学習の徹底だ。

日本工業大学 学長 波多野 純 氏


都心部の大学では実験装置を1台用意して、教授や助手が操作する様子を学生が見ているだけで実験の授業の扱いになることも珍しくないという。しかし、日本工業大学では、郊外立地の利点を最大限に活かし、全員分の実験装置や工作機械が用意され、一人ひとりそれを操作し学んでいる。実習室には、工場の生産ラインで使われている本物の工作機械が備えられ、操作を体験する。建築系の学生には入学から卒業までの4年間、いつでも自由に使える個人専用の製図台が与えられている。手を動かし、実践することが学生生活の一部になっている。


波多野学長は「ただ見ているだけで何かを獲得できるほど工学技術は簡単じゃない。本物の技術を教えるのが教育だ」と言う。そして、実験・実習・体験を通じて学んだ先にあるのは「自ら考え、リスクをとり、判断できる技術者」だ。波多野学長の教育論は「人としてどう生きるか」の哲学でもある。その言葉から「日本工業大学クオリティ」の本質に迫る。
 

失敗の体験があるからこそ、判断力が育つ

 「エンジニアが、出張先の海外生産拠点で生産ラインから異音が発生している場面に遭遇したとする。『データを本社に送って下さい。技術部と検討した上で対応策を連絡します』というのが、みんなが使う手だ。データを送るように指示するだけなら、自分にリスクは降りかからないし、恥をかくこともない。でも、そんな技術者を育てるなら、うちの大学である必要はない。うちは、その場で上着を脱いで直し始めるような技術者を育てたい」。

実験・実習で、実際の生産拠点で使われているのと同じ機械・装置の操作やメンテを体験している。だから、就職したその日から、臆することなく、最新の装置に触れる力が付いている。これが日本工業大学が体験学習にこだわる理由の一つだ。

もちろん、単に操作方法を知っているだけで事足りるわけではない。「一旦ラインを停止させてから修理するのか、それとも、ラインを止めずに切り抜けられるのか。ラインを停止すれば経済的な損失が発生する。しかし、動かしながらの調整では重大な事故につながりかねない。どちらにもリスクがあるが、どちらを選ぶべきか、あらゆる可能性をシミュレートし、判断する力が問われる。もちろん、結局直せなければ恥をかくかもしれない覚悟も決めなければならない。その判断力を養うのが、実体験だ」と波多野学長は言う。

「想定外だから仕方なかったと言うのは方便に過ぎない。想定外にしてしまった自分の経験不足と、想定する能力の欠如を反省すべき事態だ。想定外を作らないためには、どれだけの失敗を重ね、そこから逃げず、原因をきちんと究明して学んだかが問われる。日本工業大学が恵まれているのは、たくさんの最先端の機械と工具が揃っていること。それを活用し、学生のうちに失敗の経験を積むことができることだ」という。

工学は横に広がるニーズを満たすステキな学問だ

 3人いるのに、美味しいお菓子は2つしかない場面に遭遇したらどうする?
なんとか勝ち取って食べる? 揉めないように泣く泣く辞退する? 
そうではなく、「じゃあ、もう1個作ろうよ」というのが工学の発想。誰も蹴落とさず、誰も泣き寝入りしない。そんな学問の世界に身を置くというのはステキなことだよね。― 毎年4月に実施する学長メッセージの授業で、波多野学長は新入生に語りかけるそうだ。

同大は伝統的に工業高校出身者が多く、ほとんどの学生は「手を動かして何かを作ることが楽しくて仕方ない」「ものづくりの仕事に就きたい」という熱意がある。一方、ここ数年増加傾向にある普通高校からの入学生は「もしかして、ちょっと場違いなところに来てしまったのではないか」と不安な気持ちを抱えている。学長の「工学ってステキ」という言葉が、迷える新入生の心をガッシリとつかみ、工学という学問に向かう気持ちにさせるそうだ。

 

 

かつて、100人の高齢者を身長順に並べて、25~75番目、つまり過半数の人に適合する洗面台がどの程度の高さかを研究した修士論文を「認めない」と言ったことがあるという。「平均値の人に合う商品は、放っておいても企業が勝手に作る。標準よりも大きかったり、小さかったりで不便を感じている人、困っている人のために何ができるのかを研究するのが大学の研究だ」と言う。

「真ん中だけをターゲットにして、大量生産で安価に作る技術に工学は貢献してきた。しかし、消費者1人1人に顔があり、個性があり、性格がある。これからは個別性を大切にして、誰か1人が困っていたら、そのために作る。それが逆に言えば、将来の汎用性につながる。最後まで取り残されて困っている人をそのまま放置する工学の時代はもう終わった」。

「本学の卒業生全員が世界最先端の研究開発に取り組めるわけではない。しかし、真ん中だけをターゲットにして安価に大量に作るというスパイラルから一歩外れてみると、ニーズは大量にあり、工学の世界は横に広がっている。多様化したニーズに応えるためには、多様なプロジェクトが必要で、そこには多くのプロジェクトリーダーが必要になる。そこで活躍できる人材を送り出したい」。 

真ん中だけをターゲットにしない教育が一人一人を輝かせ、真ん中だけをターゲットにしない工学が、切り捨てられていたニーズを満たす。正の循環を担う人材を育てる教育こそが、日本工業大学クオリティだ。
 

<取材後記>

 波多野純学長の「いいものを安く―は本当に正義なのか?いいものは高くて、悪いものが安いのが価格の妥当性から言って正義でしょう」という言葉にハッとさせられた。

大学でも、資材や備品を購入するにあたって、税金・補助金や、学生の保護者から納付され授業料を無駄にしないように「いいものを安く」は重要な採用基準になっているそうだ。ただ、波多野学長は「大切なお金だからいいものを安く買うまではいいかもしれないけれど、それを作っているのはうちの卒業生なんですよ。生産手段を合理化するなど、色々な努力をして価格を下げること自体は間違っているわけではない。だけど、いいものを安くの反対側には、いいものを安く作らされている人がいて、大量生産向きの売れ筋から外れたニーズは切り捨てられている。それが本当に必要なものであっても…」という。

真ん中から外れたものに対する暖かなまなざしを持った教育者に出会えること―それが、日本工業大学の学生にとって大きな財産となるだろう。

 



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