フランシスコ・ザビエルが「日本に西洋の高等教育機関を」と構想したことに端を発し、イエズス会が1913年に設立した上智大学は、設立当初から外国語教育に力を入れ、多様な学生、教職員でキャンパスを構成している元祖・国際派の大学だ。1986年開設の比較文化学部(現・国際教養学部)は、「日本にいながら英語で学位が取得できる大学」として大きな注目を集め、海外志向の強い若者はこぞって上智を目指した。
ところが、日本社会のグローバル化が進み、今や、どこの大学のパンフレットを開いても、必ずと言っていいほど「グローバル人材の育成」「国際的なコミュニケーション能力アップ」などの文言が掲げられている。近年も各地の大学で「国際」や「グローバル」を冠した学部・学科の創設も相次いでいる。
もはやグローバルが専売特許ではなくなっているのだが、上智大は2014年4月に新学部「総合グローバル学部」を開設した。その背景には、どんな思惑があるのだろうか。それを探っていくと、真のグローバル人材育成にかける「本気」が浮かび上がる。
グローバルとローカルで立体的に世界を捉える
上智大の国際交流担当理事補佐としてグローバル教育推進に奔走する曄道佳明(てるみちよしあき)理工学部教授は「総合グローバル学部の開設には2つの戦略的な意味合いがある」という。
国際交流担当理事補佐
理工学部機能創造理工学科 教授
博士(工学) 曄道 佳明 氏
1つは、日本の大学として、学部レベルで初めて「グローバルな視野」と「ローカルな視点」を双方向から学ぶ体制を整えたことだ。
いわゆる「国際政治学」や「国際関係論」は、主として国際機関やG8などの主要国の視点で国家間・地域間のパワーバランスをはかり、貧困問題や地域紛争の解決策を探ろうとするものだ。ところが、現実には国際機関の介入が必ずしも問題の解決には結びつかず、逆に格差を拡大したり、紛争を泥沼化させたりしている事例を私たちは日々のニュースでしばしば目にしている。
地域には、それぞれ歴史や文化的な背景があり、民族問題、宗教問題など固有の事情を無視した画一的なアプローチでは、根本的な問題の解決には至らない。そうした「地域特性」という視点が欠かせないものとして、総合グローバル学部では学生に「国際関係論」「地域研究」の両分野を専門分野として研究することを課し、グローバル社会を立体的に捉える力を養うことを重要視するという。
世界中のほぼ全てのエリアをカバーした地域研究
戦略的な意味合いの2つめは「大学全体として、世界のほぼ全地域の地域研究をカバーできる体制を整えた」ことだ。総合グローバル学部は、21世紀を「アジア・アフリカの世紀」と捉え、アジア、中東・アフリカ研究の専門家を揃え、地域研究の中軸に据えている。このエリアは外国語学部がカバーする欧米やイスパニア語圏の地域研究を補完する形にもなっている。
大学全体としての世界のほぼ全エリアをカバーすると同時に、総合グローバル学部と外国語学部の学生が柔軟に相互のプログラムを履修することも可能にし、広く地域研究と国際関係論の両側面に取り組めるよう配慮した。
曄道教授は「英語圏のみ、アジアのみなど限定した選択肢しか提供できないのでは、真の意味でのグローバル教育とは言えない。中東を専門としている学生が、南米についても学べる、国際機関への就職を希望する学生がイスラム圏について専門的に研究できるなど、学生の動機や興味が展開した時に、高等教育機関としてそれに答えるオプションを用意できるかどうかという教育の質にこだわった」そうだ。
単なる語学力、コミュニケーション能力のフェーズは終わった
「今、必要とされているのはグローバルな視野とローカルな視点の両方を持ったリーダーだ」と曄道教授は説く。総合グローバル学部が目指すのは、まさに、リーダーの育成だ。もちろん、リーダー育成と言っても、国際機関や世界的な巨大企業への就職支援を主眼に置いているわけではない。
「貧困や紛争は国際秩序だけで収まるものではなく、かといってマインドだけで救えるものではない。そこにビジネスとして成り立つ経済活動があって、問題解決のための資金が回り始める。開発経済を支えているのは、実は、民間企業だ。国内の産業界にも、複眼的な視野を持つ人材を送ることで、教育機関としての役割を果たしていく」という。
いずれにしても、上智大にとって、単に語学力や国際的なコミュニーケーション能力をアップしたり、特定の地域の専門家を養成するフェーズは既に終わっているということだ。文化や宗教を理解し、主要国中心の国家間のパワーバランスとは異なるローカルな視点をも持った先導者を送り出すことに本気で取り組み始めている。
曄道佳明教授は「上智大学が極めて特殊な大学であることも、グローバル人材育成で大きなメリットになる」と強調する。
「キリスト教が身近にある生活を4年間送ることで、日本人に決定的に欠如している宗教を通した世界観が培われること。教員の国籍が多種多様であり、アフリカ、南米、アジアなど世界のあらゆる地域から学生を受け入れていること。都心のコンパクトなキャンパスのため、無意識のうちに外国人、異文化、多言語、異宗教が日々の生活の中にある。それは、カリキュラムのようにあつらえたものではないが、上智大が学生に提供できる貴重な資産としてこれから真価を発揮する」と自信をのぞかせた。
<取材後記>
曄道教授は力学の専門家として、新幹線など鉄道車両の安全走行の研究に携わってきた。「なぜ力学研究者がグローバル教育を?」と素朴な疑問をぶつけると、「東京・新大阪間を2時間半で結ぶ新幹線の運転時間をさらに短縮するために、最先端の技術が投入されている。かたや、世界には靴もなく、裸足で何キロも離れた川まで水を汲み行く子どももいる。研究を進めるにつれ、日本の先端技術をさらに先端化するだけでいいのかという思いが強くなった」そうだ。
そこから出発して、開発途上地域における鉄道ネットワークの構築が貧困問題や地域問題の解決にいかに貢献できるかというテーマで、大学内の学部横断的なプロジェクトを立ち上げ、文系学部の教授も巻き込んで研究を進めている。
曄道教授は総合グローバル学部の創設に際して「上智大学の学生が何を思いながら生きていくのか、教育者としてどんな動機付けを与えられるかを考え抜いた」と言う。総合グローバル学部の学生にとっては、グローバルな視野とローカルな視点を併せ持ち、現実の問題へのアプローチを実践する指導者に巡り会えること自体が大きな動機付けとなり、財産となるに違いない。