今回は国境の島、対馬の防衛体制について海上自衛隊・対馬防備隊の鈴木亨司令(一等海佐)に聞いた。対馬防備隊の本部がある竹敷は、リアス式海岸が続く浅茅湾の中心部にあって、古代から国防上の戦略的な拠点となってきた。また最近では、この対馬防衛隊の周辺の土地が韓国資本によって購入が進められており、国防上の観点から問題提起もされている。
陸・海・空の3自衛隊が揃っている対馬
川嶋 対馬は海上自衛隊、陸上自衛隊、そして航空自衛隊がそれぞれ基地を持っています。3つの自衛隊が揃っているという意味でも、国防上重要な拠点であることを示していると思います。海上自衛隊はどのような体制を敷いているのでしょうか。
鈴木 海上自衛隊では、対馬にここ竹敷と上対馬、下対馬にそれぞれ警備所を持っています。浅茅湾に面したここ本部は、もともと明治時代に旧日本海軍が魚雷艇などの基地として設営したところです。
浅茅湾は波が静かなので飛行艇の発着も行われてきました。そのための「すべり」という海から陸に上がる設備を持っています。
ただ、浅茅湾は入り組んだ入り江が多く水深もそれほど深くないので大型の艦船が停泊することはできません。
それでもここにある浮き桟橋を使って、ミサイル艇や掃海艇など小型艦艇の横付けが可能です。
また、沖合いにはブイを設置、2000トン級程度までの護衛艦の係留ができます。
川嶋 もともと対馬には大型艦船が停泊できないので、日露戦争当時も、戦艦や駆逐艦などではなく魚雷艇の基地だったそうですね。
鈴木 大型艦船は長崎県の佐世保、そして明治時代の旧帝国海軍では釜山に基地を置いていました。対馬は小型艦船の基地として使われてきました。
日露戦争当時は魚雷艇の基地として大きな役割を担っていました。すでに見られたと思いますが、1900年に旧日本海軍は万関運河を開削し、もともと対馬の西に向かって開けている浅茅湾から、対馬の東へ抜けられるようにしました。
ロシアのバルチック艦隊が対馬海峡を通過しても、朝鮮海峡を通過しても機動的に対応できるようにするためです。
また、実際の日本海海戦では、対馬は燃料である石炭の供給基地としても重要な役割を担っています。