ROE経営ではなくROA経営のガバナンスが今、問われる。柳井家のオーナーシップが揺るぎないファーストリテイリングの株主資本は前期から40.0%も増加して自己資本比率は前期の44.5%から49.1%に上昇している。写真:ロイター/アフロ
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■小島健輔が問う、「インフレ時代に求められる経営哲学と革命条件は何か」(本稿)

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 30年ぶりのインフレと賃金上昇という異次元環境に直面してわが国の企業経営は革命的転換を迫られているが、小売業界や物流業界は既存秩序内のカイゼンや改革に留まって「革命」に踏み出せず、時代に取り残されつつある。インフレ時代の経営哲学と「革命条件」とは何か、原点から考察してみた。

インフレとは資本コストと労働コストの上昇だ

 インフレとは企業物価に始まって消費者物価に波及する「値上げ」であり、時差はあっても「賃上げ」に波及して上昇のスパイラルを招く。デフレは消費者物価に始まって企業物価に波及し、いずれ「賃下げ」にも波及するが、資本コスト(金利)が低下するなら「賃下げ」は回避あるいは抑制される。わが国では日銀のゼロ金利政策もあって長らく後者のデフレスパイラル構図が続いてきたが、それが招いた日米の金利差や経常収支キャッシュフローの悪化で円安が加速し、30年ぶりというインフレスパイラルに転じている。

 インフレの契機はサプライ分断などの供給不足や資源価格の高騰、基軸通貨の金利上昇などさまざまだが、継続すれば資本コストと労働コスト(賃金)のスパイラルな上昇を招き、水位の上昇に取り残された企業や個人はインフレに水没してコスト倒れに陥ってしまう。わが国では円高と並行して30年もデフレが続いたのだから、円が凋落すれば今後30年もインフレが続いても不思議はない。

 米国はリーマンショック後の2009~2010年、オバマ政権第2期の2013~2016年、コロナ禍の2019~2020年を除けば2%以上のインフレが半世紀も続いてきたから(2000年~2021年のインフレ率は57.4%、~2023年4月だと77.6%)、経済活動も投資活動も個人の人生設計もインフレを前提に成り立っている。そう考えれば、わが国の企業経営も長期間にわたって(おそらく2%前後の)インフレが続くという前提に転換するべきで、30年も続いて染み付いたデフレ感覚(2000年~2021年のインフレ率は2.5%、~2023年4月でも8.0%)から早々に脱却するべきだろう。

 企業経営においてインフレは仕入れや売上、販管費の損益のみならず、究極は資本コストと労働コストの二次関数曲線をどう組み替えるかという構造革命が問われる。

そごう・西武はなぜ売却されたのか

 資本コストと労働コストの二次関数曲線の組み替えに失敗した例がそごう・西武ではないか。

 そごう・西武は当初2500億円と企業価値を見積もられながら、紆余曲折の果てに実質譲渡価値8500万円で米投資ファンドのフォートレス・インベスティメント・グループに売却された。2006年1月末にセブン&アイ・ホールディングスが野村プリンシパルファイナンス他の株主から買収した総額2377億円から実に2800分の1に激減したことになるが、そんな評価になったのはやむを得なかった。

 買収時のそごう12店、西武百貨店18店の計30店、合計営業収益9665億4500万円が2023年2月期にはそごう4店、西武百貨店6店の計10店、合計営業収益5073億9500万円にシュリンクしたが、この間に20店を閉鎖、売却して従業員数を1万386人(うち正社員5296人)から4549人(同2135人)に削減しても1人当たり売上は18.1%(正社員のみだと24.9%)しか改善できず、直近は4期連続の純損失に陥って借入金が3000億円に膨らんでいたからだ。ちなみに、この間に高島屋の百貨店業従業員数は1万2879人から6926人に減少して1人当たり売上は50.9%上昇、三越伊勢丹の従業員数は1万7682人から7903人に減少して1人当たり売上は2.09倍に上昇している。

 そごう・西武は不採算店を大量閉店して従業員を削減しただけで資本コストと労働コストの二次関数曲線の組み替えは進まず、労働生産性の改善はわずかにとどまった。2377億円を投資し、そごうの心斎橋本店や神戸店、西武百貨店の高槻店など自前(自己所有)の店舗を売却してもリストラ費用と借入金の利払い等に消えて「資本装備率」が高まらず、労働集約体質を脱却できなかった。

 百貨店はもとより自営の「仕入れ小売業」とコンセやテナント任せの「不動産業」のハイブリッド事業で、前者と後者では労働生産性が一桁違うから後者の比率を高めるほど労働生産性は高まるが、それには好立地の自前(所有)店舗という資本装備が前提となる。今世紀に入って百貨店の閉店が相次いだが、その大半は売上の減少を「不動産業」シフトによる労働生産性の向上で補えない賃借店舗で、客数の回復が期待できない地方や郊外の過疎店舗は別として、自前の店舗はショッピングセンター(SC)化という「不動産業」シフトで延命している。高島屋や大丸松坂屋(J.フロント リテイリング)、阪急阪神百貨店(エイチ・ツー・オー リテイリング)は好立地店舗を高額でも買い取って自前化し、SC化で労働生産性を高めて収益を伸ばしている。

 2007年2月期から2023年2月期にかけて高島屋は百貨店業の1人当たり売上を50.9%も伸ばす一方、セグメント利益の商業開発業(18.4%→28.8%)と金融業(6.0%→14.0%)を伸ばして百貨店依存率を68.0%から57.2%に落としている。J.フロント リテイリングも、セグメント利益の百貨店事業依存率を2013年2月期の60.4%からSC事業とデベロッパー事業の合計をほぼ同額まで伸ばして2023年2月期は40.8%まで落としている。

 商業開発業とかSC事業とか名前はさまざまな不動産事業も、ハウスカード発行を軸とする金融事業も自営の百貨店業より労働生産性が桁違いに高い「資本集約型」事業であり、百貨店生き残りの鍵は百貨店業においても関連事業においても資本装備による「脱労働集約型」にあると理解するべきだ。