標高は5000メートル以上もあり、人はほとんど住んでおらず、開発も進んでいない。水以外の資源も特に見つかっていない。自然がとてもきれいなだけである。

 奪い取ることにどれほどの意味があるか分からない土地だ。だから、中国が、このような価値のない領土をめぐって攻撃を仕かけたことの方が不思議なのである。別の真の理由があったとみる方が自然だ。

 では何が真の理由だったのだろうか。

 もし中国にとっての利益は、より外交上の成果を狙ったものだと仮定すると、以下の説明が可能になる。

 例えば1962年の印中戦争は、米ソのどちらでもない非同盟諸国のグループにおいて、中国とインド、どちらが主導権を取るかの争いだった可能性がある。実際、印中戦争の後、非同盟諸国の間でインドはリーダー格には見られなくなり、中国との協力関係を強化する動きが続いた。

 1967年のナトゥラ事件・チョーラ事件においては、共産圏において中国とソ連のどちらが主導権を取るか、争っていたものとみることができる。

 当時、ソ連は、第2次印パ戦争の仲介役として印パ両国の停戦を実現し、存在感を示し始めていた。もともとインドに対する影響力の強いソ連が、パキスタンでも影響力を増すとなると、中国のパキスタンに対する影響力は低下していく。

 そのことを懸念した中国は、インドを攻撃することにした。中国がインドを攻撃すれば、ソ連はインド支持を、パキスタンは中国支持を明確にせざるを得なくなる。結果、ソ連とパキスタンの関係は悪化し、中国はパキスタンへの影響力を維持できる、というわけである。

 1986~87年の危機についても、米中とソ連が争う世界的な構図の中で、中国がパキスタンへの影響力を維持しようとした可能性がある(各国の位置関係は図1参照)。

 当時、ソ連はアフガニスタンに侵攻しており、米国はパキスタンを通じてアフガニスタンのゲリラを援助していた。そこで、ソ連はインドに軍事支援する代わりに、パキスタンを攻撃してアフガニスタンのゲリラへの支援ルートを遮断するような作戦を要求した。

 実際、インドはソ連からの軍事援助を受けて戦力を近代化し、パキスタン攻撃を念頭に置いた大演習を準備した(「ブラスタクス演習」として実施)。