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「一番搾り」「淡麗」「氷結」など、今やキリンを代表する数々の商品を手がけ、「稀代なるヒットメーカー」と称されたマーケター・前田仁(ひとし)。ビール業界において、なぜ前田だけが次々とヒットを生み出すことができたのか。本連載では『キリンを作った男――マーケティングの天才・前田仁の生涯』(永井隆著/新潮文庫)から、内容の一部を抜粋・再編集。決して順風満帆とは言えなかった前田のキャリアを軸に、巨大飲料メーカー・キリンの歴史をひもといていく。

 第4回では前回に続き、「一番搾り」の開発を巡ってキリン社内に吹き荒れた賛否の嵐を紹介。生産現場から激しい反感を買った前田の「一番搾り麦汁ビール」は、市場調査でどのように評価されたのか。

<連載ラインアップ>
第1回 “聖域”の ラガーをたたき潰す、キリンにラベルのないビールが誕生した理由とは
第2回 キリンの天才マーケター・前田仁にとって不可欠だった「アイデアの源泉」とは?
第3回 ぜいたくなビールを「スーパードライ」「ラガー」と同じ価格で、天才マーケター・前田流のこだわりとは
■第4回 「麦汁の一滴は血の一滴」工場の猛反発にもかかわらず、なぜ「一番搾り」は商品化されたのか?(本稿)
第5回 「ラガーの生ビール化」で失敗の黒歴史、当時のキリンを覆っていたある組織体質とは?
第6回 窮地のキリンを救った大ヒット発泡酒「淡麗」で、天才・前田が仕掛けたマーケティング戦略とは?

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麦汁の一滴は血の一滴

「一番搾り麦汁だけを使うビールを、前田チームが開発している」

 そのニュースが駆けめぐると、たちまちキリン社内から反応があった。その大半は懐疑的、批判的な反応だった。

「君は、何のためにマーケティング部にいるのか、わかっているのか」

 工場長や生産部門の幹部が集まる、全国工場長会議に呼ばれた舟渡は、年輩の工場長からいきなりこう質(ただ)されたという。

「スーパードライに対抗する大型商品を作り、多くのお客様に喜んでもらうためです」舟渡はすかさずそう反論しようとした。まるでビジネス小説の主人公のように。だが、現実はそう格好よくはいかない。大先輩の前で、若い舟渡は「はい…」と返事をするのがやっとだった。

 すると工場長は勢いづいて語気を荒らげた。

「こういう無茶な商品開発をマーケティング部の連中にやらせないために、君を送り込んでいるんだ! 君が率先して生産現場を苦しめてどうするんだ!」

 別の工場長が続ける。

「仕込み係は二番搾り麦汁の最後の一滴まで、それこそ搾り取るように採っている。君は去年まで名古屋工場にいたんだから、その苦労がわかるはずだ」

 その工場長の発言は間違いではなかった。ポタッ、ポタッ、としたたり落ちる滴(しずく)だって、年間を通して集めればかなりの量になる。

 日本はビールの酒税が高いため、ビール会社の利益は薄い。ビール業界には「麦汁の一滴は血の一滴」という表現があるくらい、麦汁は無駄にしてはならないという考え方が染(し)み込んでいる。「一番搾り」案に、工場が反発するのは当然だった。

 工場に比べると、本社の生産部門の役員や幹部の反応は、比較的冷静だった。ただ、前田のプランに理解を示してくれるほどではなかった。というのも、本社生産部門の役員や幹部はみな、「スーパードライ」の脅威を実感していたからだ。

「思い切った商品を作らなければ、スーパードライを止められない」という考えが、共通認識として行きわたっていた。

 一方、工場は現場しか見えていなかった。いかに効率よく生産するか、1円でも2円でもどうやってコストダウンするか。それが彼らの仕事のすべてだった。商戦の激化や、ライバル社の商品の大ヒットよりも、内側に目が行きがちだった。

 舟渡はその温度差に接し、少なからぬ戸惑いを覚えたという。ただ、この時の彼はもう工場の醸造技術者ではない。マーケティング部所属で前田の部下という立場だ。舟渡は前田についていくほかなかった。