江戸時代は100種以上、日本人と大根の根深き関係

白くて太い野菜の多様性に迫る(前篇)

2018.11.09(Fri) 漆原 次郎
筆者プロフィール&コラム概要

大きさや重さから考える大根の多様性

 こうして江戸時代、各地でその土地特有の大根が作られるようになった。鹿児島・桜島の巨大な「桜島大根」や、信州の辛味ある「鼠大根」なども知られる。相模・三浦では「三浦大根」の元祖も作られ始めた。江戸時代に、日本の大根の多様性が花開いたといってよいだろう。

 どうして、こうも大根は各地それぞれで根を張り、多様化していったのだろうか。これには、大根の必要性に加え、大きさや重さといった特徴が関係しているかもしれない。

 大根は、いまよりもはるかに“必要な作物”だった。江戸時代、1種類の食材に対して100種類の料理法を記した「百珍物」で大根が取り扱われたことからもうかがえるように、大根は当時の料理の多様性にも大いに貢献した。

 だが、それだけではない。農村では、ご飯に大根を混ぜて食べたり、大根汁を作って食べたりするのがまさに日常茶飯事だった。農村の人びとにとって、大根は栄養を支えてくれる主食のひとつでもあったのだ。

 一方で、大根は作物の中でも大きくて重い。いまと違って輸送手段が発達していなかった時代、漬物にして運ぶ以外では、遠くの消費地まで輸送しづらい作物だったはずだ。

 だが、都合がよいことに、大根の栽培はわりと簡単にどんな土地でもできる。自分たちの地域で自分たちが大根を作るという精神が根づいたのだろう。土壌や気候が違えば、大根の作り方も違ってくる。人びとは自分たちの土地に合った大根を作ろうと、交配や選抜を試みただろう。

 かくして、各地で独自の大根が生まれ、江戸時代の大根の多様化をもたらしたのだと考えられる。

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1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。


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