江戸時代は100種以上、日本人と大根の根深き関係

白くて太い野菜の多様性に迫る(前篇)

2018.11.09(Fri) 漆原 次郎
筆者プロフィール&コラム概要

 平安時代中期の律令を定めた『延喜式』にも大根の記述がある。当時は「蘿菔」と書いて、やはり「おおね」とよんでいた。<営蘿菔一段。種子三斗。惣単功十八人>などとある。大根の畑1段分につき18人の労力を使ったといった栽培法が記されているのだ。

「だいこん」と呼ばれるようになったのは、室町時代かそれ以前のこととされる。文明年間(1469-1487)ごろ成立した国語辞典『節用集』に「大根(だいこん)、又蘆菔(ろふ)、蘿菔(らふ)、大根(だいこん)」と見られるようになったからだ。

江戸時代、各地で「地大根」が生まれる

 江戸時代中期の1730年代、日本の大根はすでに、地域ごとに品種の多様化が進んでいたようだ。東京家政学院大学名誉教授の江原絢子氏らが、各所領において調査された産物帳などから、大根の品種を調べたところ、当時、各地で作られていた大根の品種は90種類にのぼったという。

 江戸時代、各地でどのように大根の品種が生まれたのかも、それぞれに謂われがある。3つほど見てみよう。

「守口大根」は、長さ1メートル以上にもなる細い大根で、いまは愛知県や岐阜県で漬けものや切りぼし向けに育てられている。

 だが、16世紀ごろまでは大坂・淀川にあった守口の中洲(現在の守口市外島から土居にかけて)などの寒村で育てられていた。硬いため、生で食べるよりも粕漬けにされた。元祖「守口漬」の誕生だ。

 その後1583(天正11)年、大坂城が築かれると一帯は城下町となり、大根を育てづらくなっていく。代わって美濃や岐阜で栽培されていた長大根が守口漬に使われるようになり、美濃や岐阜の大根が「守口大根」と呼ばれるようになった。近年は、愛知でも守口大根や守口漬が盛んに作られている。

現在、愛知県で収穫されている守口大根。(写真提供:愛知県農林水産部園芸農産課)
この連載記事のバックナンバー
トップページへ戻る

1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。


食の万華鏡

食の安全に対して国民の関心が高まっている。今後、安全で美味しい食の供給国としての日本を考えた時にもこの問題は重要になる。食の安全の話題を中心に、食トレンド、食品マーケットなど、食にまつわる様々なテーマを取り上げる。