江戸時代は100種以上、日本人と大根の根深き関係

白くて太い野菜の多様性に迫る(前篇)

2018.11.09(Fri) 漆原 次郎
筆者プロフィール&コラム概要
江戸時代、下練馬村に程近い石神井の地で大根が売られていた様子。斎藤長秋編『江戸名所図会 巻之四』「石神井明神祠」より。(所蔵:国立国会図書館)

「練馬大根」は、太く、長さも数十センチメートルほどになる大根。縁のある人物とされるのが、五代将軍の徳川綱吉(1646-1709)だ。

 若かりしころ脚気を患っていた綱吉は、下練馬村(現・東京都練馬区)で療養していた。病が癒えるころ尾張(現・愛知県)から大根の種を取り寄せて栽培させると、立派な大根ができた。帰城後も、練馬の農家である大木金兵衛に大根を作らせ、献上させた。

 綱吉はさらに東海寺の僧だった沢庵(たくあん)に貯蔵のしかたを講ぜさせた。1730(享保15)年の料理書『料理網目調味抄』には、「武州のねりま(略)二十日ばかり干して・・・」とあり、練馬大根の「沢庵漬け」が知られるようになっていたことをうかがわせる。

「聖護院大根」は、長さも直径も15センチメートルほどの丸い大根。甘みが強いのが特徴だ。

 文政年間(1818-1830)、京都の金戒光明寺に尾張の宮重大根が奉納されると、京都の農家だった田中屋喜兵衛が目をつけ、本山修験宗総本山の寺院である聖護院で栽培を始めた。短形に育った大根だけを選んで育てていった結果、丸い形の固定種になっていったとされる。

聖護院大根。
この連載記事のバックナンバー
トップページへ戻る

1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。


食の万華鏡

食の安全に対して国民の関心が高まっている。今後、安全で美味しい食の供給国としての日本を考えた時にもこの問題は重要になる。食の安全の話題を中心に、食トレンド、食品マーケットなど、食にまつわる様々なテーマを取り上げる。