米マサチューセッツ工科大学(MIT)のメディアラボ所長に日本人として初めて就任することになった伊藤穣一さん。未曾有の大震災に襲われ、さらには危機に直面して右往左往するだけの国家のリーダーたるべき首相と政権与党による“暴政”にも見舞われている今の日本にとって、数少ない快挙と言えるのではないか。
リーダーシップの意味が全く変わってしまった
MITのメディアラボは言わずと知れた世界の基礎研究の総本山であり、しかも世界のパラダイムを変えることを目指している面白い研究所だ。
その所長に初の外国人で、しかも経歴上は大学を卒業さえしていない日本人の伊藤さんが選ばれたという事実は、何か歴史的な必然性を暗示されているのではないかと思いたくなってしまう。
つい先日、伊藤さんにインタビューしてそんな思いを強くした(注:詳しいインタビュー内容は後日公開します)。
「一握りの人たちで、日本という国家やあるいは企業であっても、大きな組織をコントロールしようという発想自体、とっくに時代遅れになっているんじゃないですか」
話がリーダーシップ論に及んだところで、伊藤さんの口から自然にこのような言葉が出てきた。その瞬間、背中に何やら衝撃が走るのを感じた。
震災復興が遅々として進まない、デフレ経済はより深刻になるばかりで、被災地では中小企業経営者の自殺が相次いでいるという。福島第一原子力発電所の事故とその拡大も含めて、決断力と行動力に全く欠けた政府の責任は極めて重い。
しかし、政府の非をいくら咎めても、また首相を代えても実は何も変わらないし動かない。
むしろ、首相と政府を批判する私たちの言葉の裏には、「強いリーダーシップのある政治家が日本を正しい方向に導いてくれる」という期待感、いや依存心がないだろうか。