2007年の秋、確か11月のことでした。突然不思議な相談を受けました。法務大臣の勉強会に出て話をしてほしい、というのです。大変当惑しました。
ことの次第はこんなものでした。
團藤教授との出会い
私は刑法の團藤重光教授に懇意にご指導頂いています。大本のきっかけは、シンポジウムにご登壇いただけないか、という依頼でご自宅まで伺ったことでした。
たまたま私の研究室から歩いて2分ほどのところに團藤先生のお住まいがあり、あれこれお話しするうちに、日常的に行き来するようになったものです。
子供の頃から音楽を学び、大学では物理という理科を学んで「法律」は一番自分と縁遠いもの、と思っていた私が、40歳を過ぎてから刑法の碩学、というよりも、戦後GHQとの厳しい交渉に当たられ、日本国憲法下での刑事訴訟法を書き上げられたご本人から、法というものの基本から親しく教えを頂くとは、以前は想像もしていませんでした。
もう1つ、やや個人的な動機としては、私の両親が大正生まれだという事情がありました。私は1965年1月生まれで高度成長後期以降の日本で育った世代です。
しかし両親は父母各々大正14、15年の生まれで、39歳で結婚した両親が40歳でつくった子というのが、私の生まれた環境でした。父が6歳で亡くなってからは、40代後半以上の年齢の、長年教師として務める母の元で育ちました。
こうなると、変なものですが、子供のくせして「教師への逆評定」が厳しいという、けったいなガキに私自身が育つことになってしまうんですね。