2008年のノーベル物理学賞が日系人の素粒子理論家3人に与えられたことは国際的に広く報じられた。だがストックホルムでの表彰式に先立って仕組まれた、大変珍しい「愉快ないたずら」については、世界でも、また日本国内でも、ほとんど報じられていない。

 その「愉快ないたずら」とは何か。恐らくノーベル賞始まって以来のことだと思う。受賞記念講演を本人が行わず、今回、賞を受けなかった研究者がストックホルムの壇上に登って講演したのである。

1960年代からノーベル賞候補だった南部陽一郎博士が “犯人”

ノーベル物理学賞の南部氏、同僚からも尊敬集める人格者

ノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎・米シカゴ大名誉教授。写真はベンジャミン・フランクリンメダル受賞の授賞式時(2005年5月20日撮影)〔AFPBB News

 そのシカケを施した南部陽一郎博士がノーベル賞候補に挙げられるようになったのは1960年頃からだった。私は幼少時代から音楽の教育を受けてきたが、ティーンエイジャーになってからは、大学で学ぶ専門は物理学にしようと考えるようになった。その頃既に、南部博士は歴史上の人物になっていた。

 雲の上の人としてずっと畏敬してきたが、実際に私が東京大学で物理学を学ぶようになってセミナーでお会いした時、南部先生は才気煥発なだけでなく大変気さくな方だと初めて知った。

 それから20年ほど経って87歳の南部博士に、小林・益川両博士とともにノーべル賞が授与された。

 受賞発表の直後、ストックホルムからの電話インタビューでは授賞式に出席するような口ぶりだった南部教授が、夫人の健康状態を理由に式への欠席を表明したのは報道を通じて知っていた。

 だが、インターネットで受賞記念講演のビデオを見て、そこに仕かけられた企みに気がつき、私は大変に驚いた。

論文の共著者が記念講演の壇上に

 なんと南部教授の講演は、今回の受賞業績とされる1961年に書かれた「自発的対称性の破れ」の原著論文の共著者、ジョヴァンニ・ヨナ・ラシニオ(Giovanni Jona-Lasinio)博士が行っていたのだ。

 通常ノーベル賞の栄誉を受けたものだけが登ることができる、特権的な演壇である「ノーベル記念講演」。だが南部博士は自ら一歩引いて、かつてのアシスタントで共著者のローマ大学サピエンツァ校(La Sapienza University of Rome)のヨナ教授を科学界最高の名誉の席に登壇させたのだ。私は思わず「あ! Aha!」と声を上げた。

 今回のノーベル物理学賞では、受賞の対象とされた業績に各国から多くの科学者の貢献があったが、とりわけ日本とイタリアの物理学者の貢献が顕著だった。小林・益川教授の理論はニコラ・カビボ(Nicola Cabibbo)ローマ大学教授の先行業績との関連が深い。

 また南部博士の業績もヨナ博士との共著だ。おりしも2008年は、ヨーロッパ原子核研究機構(CERN)で巨大加速器(gigantic particle accelerator、 LHC=Large Hadron Collider)が始動したばかりだった。