2008年の金融破綻以後、世界的に基礎研究予算の減額、研究体制の引き締めが進んでいる。だが、基礎研究とは予算がなければできないものなのだろうか? 

丹生潔(にう・きよし)名古屋大学名誉教授

 ここ日本に「研究費がないから仕事ができない」などという言い訳をすべて打ち消してしまうような素粒子実験物理学者がいる。丹生潔博士。名古屋大学理学部名誉教授で、1971年、世界で初めてチャーム・メソンと呼ばれる既存の理論では説明がつかない新粒子を発見した。

 丹生実験は素粒子理論全体の世代交代を余儀なくさせる歴史的な大成果だった。それが当時の金額で200万円ほどの予算で成し遂げられたものなのだ。

 しかも、丹生実験の発見が最終的に背中を押す形になって、当時はまだ20代だった小林誠氏、益川敏英氏の2人の理論家が新しい理論的枠組みの構築に着手することになった。もちろん、小林、益川両氏とは、昨年(2008年)ノーベル物理学賞を受けた方々である。

巨大実験ブームに「時代遅れ」と言われたが・・・

 丹生実験はその当時既に「時代遅れ」と見なされていた手法を用いたものだった。感光フィルムの一種である「原子核乾板」を気球や改造した貨物機に乗せて高度1万メートルほどの上空に揚げて、宇宙線(cosmic ray)に被爆させるという実験だ。

「メダルは穴に埋めます」、ノーベル賞の益川教授が帰国会見

2008年にノーベル賞を受賞した日本人。左から物理学賞の小林誠氏、同じく益川敏英氏、化学賞の下村修氏〔AFPBB News

 上空1万メートルでは、大気の影響から地上では観測できない高エネルギー宇宙線を捉えることができる。この宇宙線が原子核乾板内で引き起こす素粒子相互作用を詳細に検討したのが丹生実験である。

 当時の素粒子実験は、1950年代以後に米ソ核兵器開発競争の基礎科学と位置づけられて、巨大加速器の建設が相次ぎ、加速器実験こそが主流、宇宙線測定は不確実・不正確な傍流と考えられていた。

 また測定装置も液体水素を用いた巨大な「バブルチェンバー(泡箱)」が用いられ、原子核乾板は季節はずれの古ぼけたメディアのように思われていた。

 これには背景となる学術政治も存在する。巨大加速器による実験を推進したい立場からは、天から降ってくる宇宙線で同じ成果が出てしまうなら、巨費をかけて大げさなものを作る必然性がなくなってしまう。宇宙線観測というのは、過去にあった超新星爆発など天体の高エネルギー現象を調べるものだが、加速器実験はそれを地上で、膨大な電力を使って人工的に作り出そうとするものだ。