青森県八戸市、岩手県野田村、福島県南相馬市と「被災地」を取材して回った時、相手に必ず聞いた質問がある。

 「震災後に最も使った情報ツールはなんですか」「震災が起きてから役に立ったインターネットツールはなんですか」「ツイッターやミクシィ(などのSNS)は震災後どれくらい役立ちましたか」という話だ。

 3月11日の震災後、「ツイッター美談」があれこれ流れていた。「被災地で孤立していたが、ツイッターにSOSを発信したら助けてもらえた」「倒れてきた○△にはさまれて動けなかったが、ツイッターで発信して助かった」などなど。

 私は「へえ、そんなすごいことがあったのか。さすがインターネット時代だ」と感心しつつ、どれも100%信じることができなかった。みんな「いかにもありそうな話」で、うそくさい。長年の職業的なカンで言えば「へえ、やっぱりそうなのか」と予想の範囲に収まる話は、だいたいつくり話だ。あるいは「そうだったらいいのにな」という願望だ。

 本当の実話というのは、こちらの想像を超える。まして前代未聞の大災害だ。「うわあ!」と絶句するような、想像もしなかったような内容が飛び出してくる。それがない。

 案の定「震災ツイッター美談」はその後、本当だったのかどうか確認が全然できない。じゃあ現地で確かめようと聞いて回った。

 結論から言うと、ツイッターはネットで話題になっているほどには「役立った」「助かった」という話を聞かなかった。

 携帯電話が不通になり、メールもアクセスできなかった震災直後になぜかインターネットだけはアクセスできたという話は確かに聞いた。しかし、それはせいぜい30歳までの若い層だけ。あとはラジオ、テレビが組み合わさる。それから上の年齢層は、頑張っても時間や場所を置いてから携帯メールが出てくるくらい。ほとんどは携帯電話の会話で済んでしまっていた。

もともと非ネットでつながっていた6人の若者

 まずは青森県八戸市から。太平洋に面する港町だ。津波で巨大なイカ釣り漁船が街に打ち上げられ、4月上旬に訪問した時は、まだごろごろと無造作に街中に転がっていた。港湾部が破壊されて漁業も貨物も大打撃を受けた。