東日本大震災は日本に対し、2つの大きな国家的課題を突きつけている。1つは原発を含めた災害に強い国造りであり、もう1つは危機に強い国家の指導者をどう育てるかである。
100年歴史を遡れば「坂の上の雲」を目指し、明治維新を成し遂げ、日清、日露戦争の国難を切り抜け、近代日本を創った指導者が綺羅星のごとく現れた。大久保利通、伊藤博文、松方正義、黒田清隆、山縣有朋、大隈重信などはその代表である。
実戦の修羅場で鍛えられた明治の指導者たち
これら首相経験者はいずれも幕末から戊辰戦争などの修羅場をくぐり、実戦で鍛えられて指導者としての知恵と胆力を自身で体得した。
たった1世紀が経過しただけだが、同じ国なのかと首を傾げてしまう。今の指導者を明治の元勲と比較すること自体が無謀であるが、あまりにもお粗末である。
危機は生の人間像を暴露する。今回の災害を通じ、日本の選良には、自衛隊の初級幹部教育で受ける指揮官心得の基礎知識も有していないことが露になった。
思いつき、その場凌ぎ、責任逃れに終始し、怒鳴りまくるのがリーダーシップだと勘違いしている総理大臣、指揮官の自覚なく、自分の決心事項にもかかわらず統合幕僚長に責任を押し付けようとする防衛大臣。
黙々と働く消防官を指揮権限がないのにもかかわらず、その背後から「処罰するぞ」と言うような経済産業大臣等々、数え上げればきりがない。
防衛大臣の一件については、一般読者のために指揮命令関係を少し丁寧に説明しておこう。福島第一原発が水素爆発を起こした後、原発に対しヘリを使い上空から放水を実施することが必要になった。
その時、大臣は記者会見で次のように言ったのだ。「総理大臣と私の考えを慮って、統合幕僚長が決心した」と。これは無知によるものなのか意図的な責任逃れかのいずれかである。
自衛隊法第9条2項には、統合幕僚長は「最高の専門的助言者として防衛大臣を補佐する」とある。また3項には「部隊等に対する防衛大臣の命令を執行する」とある。