写真提供:日刊工業新聞/共同通信イメージズ

 人的資本経営、女性活躍推進・ダイバーシティ推進は、経営者にとって喫緊に対応すべき課題だが、日本では近年なぜここまで女性活躍がクローズアップされるようになってきたのだろうか。そしてこうした取り組みは、企業にとってどのような価値を生み出すのか。本連載では『女性活躍から始める人的資本経営 多様性を活かす組織マネジメント』(堀江敦子著/日本能率協会マネジメントセンター)から、内容の一部を抜粋・再編集。女性活躍やダイバーシティと経営戦略をどのように紐づけ、取り組んでいくべきか、先進企業の経営層と著者との対談からヒントを探る。

 本連載の前半では、法整備に先駆けて女性活躍推進を積極的に推し進めてきた、国内におけるダイバーシティの模範的企業、日本IBMの事例を紹介。第1回は、女性管理職比率を大きく向上させた同社の取り組みに注目する。

<連載ラインアップ>
■第1回 日本IBM代表取締役社長山口明夫氏に聞く 女性管理職の育成のためのプログラム「W50」とは?(本稿)
第2回 日本IBM代表取締役社長山口明夫氏に聞く マネジャーはなぜ社員評価で「前任者との比較」をしないのか
第3回 日本IBM代表取締役社長山口明夫氏に聞く 女性活躍推進にとどまらない、新しい働き方の追求とは?
第4回 キリンHD代表取締役副社長坪井純子氏に聞く 被災しても工場は撤退せず、同社が進めるCSV経営とは?
第5回 キリンHD代表取締役副社長坪井純子氏に聞く 女性経営職人材が約3倍に増えた「早回しキャリア」とは?
■第6回 キリンHD代表取締役副社長坪井純子氏に聞く なぜ役員1人が社員10人のメンターを務めるのか?(9月19日公開)
■第7回 キリンHD代表取締役副社長坪井純子氏に聞く 「なりキリンママ・パパ」で試した誰かが抜けても回る仕組みとは(9月26日公開)

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日本アイ・ビー・エム株式会社
女性管理職比率の伸び悩みを打破した育成プログラム「W50」

女性活躍から始める人的資本経営』(日本能率協会マネジメントセンター)

 日本アイ・ビー・エム株式会社(以下、日本IBM)は、1960年代には女性の積極採用を始め、男女同一賃金を実現。1970年代には女性社員の定年を男性と同じ60歳に引き上げ、1985年に育児休職制度を導入するなど、法律よりも先んじて女性活躍推進に取り組んできました。日経WOMAN誌が実施する「女性が活躍する会社ベスト100」では、6年連続でトップ10入りを果たし、2020年には1位を獲得しています。

 同社の取組みについて、①経営陣の取組み②現場(人事)の取組み③社内外コミュニケーションの3つの視点で、日本IBM 代表取締役社長 山口明夫氏にインタビューを行いました。

【経営陣の取組み】
経営戦略の中心に多様性とイノベーションを据える

堀江:私は経営と人事の現場、そして広報が三位一体となって人事政策を行っていかない限り本質的には女性活躍の人的資本経営は変わっていかないと考えています。経営戦略として女性活躍を推進されることになったきっかけについてまずは教えていただけますか。

山口:IBMにはもともと、性別や人種、宗教に関係なく個人を尊重していこうという考え方がベースにあります。それは、多様な意見を取り入れ、新しいアイディアを共有しながら、新しい視点のもとでビジネスをやっていくことこそイノベーションを起こすきっかけになるからです。企業として持続的に成長するためにはイノベーションが不可欠。だから多様性の尊重は当然という論理です。

堀江:グローバルのIBMは創業時の1911年から100年以上、ダイバーシティに取り組んできました。1914年に障がい者雇用を開始、1935年には人種や性別による格差のない給与が設定され、1943年には初の女性副社長が登場していますね。

山口:世界中のIBMが力を入れて取り組んできた中で、日本でも1987年に育児休職の制度を発表するなど、さまざまな取り組みをしてきました。遅いように見えますが、プログラムの形にしたのがそのタイミングだっただけで、根底の考え方はもっと昔から日本の中にもありました。私が87年に入社した時にはすでに女性管理職の方もいらっしゃいました。

堀江:山口社長が入社されたあと、さまざまな試みや制度によって現場が変わってきたなと感じられたタイミングはありましたか。

山口:マーケット自体が変わってきたというのはあります。「我が社の担当は男性でお願いします」というようなことがなくなりましたよね。私が入社した頃はまだ、「あのお客様に女性のエンジニアを派遣するのはダメかな」という議論が行われていましたから。2000年を超えた頃からでしょうか。取引先を含めた社会全体が、「女性活躍を含め、ダイバーシティを推進していこう」という風潮になってきましたね。

 その後、1998年には「女性のさらなる活躍支援」を目指し、社員の代表者で構成される、社長直属の諮問委員会「Japan Women’s Council(以下、JWC)」の活動をスタートさせました。