中国の趙雲像 モリオ, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

 約1800年前、約100年にわたる三国の戦いを記録した歴史書「三国志」。そこに登場する曹操、劉備、孫権らリーダー、諸葛孔明ら智謀の軍師や勇将たちの行動は、現代を生きる私たちにもさまざまなヒントをもたらしてくれます。ビジネスはもちろん、人間関係やアフターコロナを生き抜く力を、最高の人間学「三国志」から学んでみませんか?

多数の猛者の中で、三国志最強の武将はだれなのか?

 三国志には、屈強な武将たちが登場します。騒乱期の呂布、魏の夏侯惇、蜀では関羽と張飛、呉では太史慈や甘寧など。活躍した時期や地域が違うため、すべての武将がライバルと戦ったわけではないのですが、誰が最強であるかは、三国志ファンなら一度は考えたテーマでしょう。

 歴史上の戦いは、一つとして同一の条件はなく、所属する軍団の指揮官の強さや賢さ、愚かさにも勝敗は左右されます。それでも、当時の武将の強さは全軍の影響力を大きく左右し、猛将がいる部隊は、その武力で敵を圧倒したり、不利な状況を防いだりする。強い武将たちの大活躍がいくつも描かれているのも、三国志の魅力の一つといえるでしょう。

戦闘マシーンの「呂布」、豪勇でならした「太史慈」などの武将たち

 議論の入り口として、書籍『三国志最強は誰だ?(一水社)』と、『「三国志」最高のリーダーは誰か(ダイヤモンド社)』の2冊をまず参照してみます。前者では、多数の武将を「戦闘力」「知力」「財力」「人望」「統率力」の5つの要素で分析しています。

 この書籍の結論として、単純な戦闘能力では「呂布」「太史慈(呉)」を挙げており、部隊指揮能力では「張遼(魏)」を挙げています。この三人は、それぞれ武力が突出していたために、君主からスカウトされていることも共通点です。

 三国志ファンならよくご存じの呂布は、弓術や馬術に優れており、194年の戦いでは曹操軍の夏侯惇を捕虜にするなどの強さを見せています。呉の太史慈は、孫権の兄である孫策に一度敗れて配下になり、その後の活躍で魏の曹操も欲しがったほどの武勇の人でした。

(ただし太史慈は、赤壁の戦いの前年の206年に41歳で病死)

 一方、書籍『「三国志」最高のリーダーは誰か』では、武将を7つのタイプに分けています。

 それぞれのタイプで選出されたのは「飛将=呂布、公孫瓚、馬超」「猛将=夏侯淵、張飛」「勇将=趙雲、甘寧」「名称=曹仁、張コウ」「智将=司馬懿、杜預」「忠将=夏侯惇、周泰」「義将=関羽、張遼」です。

 選出されている将をさらに絞り込むため、ここでフィルターを追加してみます。「戦い抜いてなお、天寿を全うした」「後方支援などではなく、前線で活躍した」の2つです。

「戦い抜いてなお、天寿を全うした」といえるのは、「馬超」「甘寧」「趙雲」「曹仁」「周泰」「夏侯惇」「司馬懿」「張遼」の4人であり、「前線で活躍をつづけた」の追加条件をクリアするのは「甘寧」「趙雲」「曹仁」「周泰」「司馬懿」「張遼」となるでしょう。

 夏侯惇は、隻眼になってから後方支援が多くなったため除外。また、上記の中で「司馬懿」は、純粋な武将ではなく、戦闘指揮官としての側面がほとんどなので除外します。すると、

(魏)「曹仁」「張遼」
(蜀)「趙雲」
(呉)「周泰」「甘寧」

 となり5名が残ります。これは既にかなり納得感のある結果だと思われます。ここであえて、もう1つのフィルターを追加してみましょう。「活躍した時期が早い」「集団が小さな頃から武勇を発揮していた」ことです。理由は、大軍は自然に有利で勝ちやすく、小規模の劣勢軍団では、戦闘はより厳しいものになるからです。