『マネジメント』(ダイヤモンド社)をはじめ、2005年に亡くなるまでに、39冊に及ぶ本を著し、多くの日本の経営者に影響を与えた経営学の巨人ドラッカー。本連載ではドラッカー学会共同代表の井坂康志氏が、変化の早い時代にこそ大切にしたいドラッカーが説いた「不易」の思考を、将来の「イノベーション」につなげる視点で解説する。
連載第1回は、「捨てること」の重要性から始める。
企業も生き物である
何かを始めようというのに、なぜ捨てることを考えるのだろうか。実は捨てることは、イノベーションの持つエコシステムと深く関わっている。
さしあたりの答えとしてはまず、「どんな生き物も生き続けようと思うなら、呼吸をしなくてはなりません」となるだろう。生き続けようと思わないのなら、取り立てて捨てる必要はない。
いや、生活を続けるのだというのなら、何もしていなかったとしても、息を吸って吐くくらいのことはしなければならない。呼吸しないのは賢明なこととは思えない。
どのような形であろうと、ドラッカーの言うことが、いつも自然にしっくりと心と頭に入ってくるような気がするのは、このような「生命体としてまともな方法」を語っているからだと気付くはずである。
まずいらないものを捨てて、程よい余白があれば、なすべき活動の方がこちらを見つけてくれることになる。世の中には本来なすべきことが無数に存在しているのに、ただ余裕がないために見えていないだけのことがあまりに多いからだ。
仮に機会に気付いたとしても、日常の雑事で目に曇りが生じていて、何も手に付かないことも多い。大事なのは余裕であり、余力であり、余白なのだ。
人も企業もエコシステムの一部
現代の問題の一つは、取り込むこと、獲得することにばかり気を取られ過ぎて、捨てること、余白をつくることにあまりよく通じていないことにあると思う。
私たちは今朝の新聞やネットニュースを見て、新しい製品や技術、将来性のある取り組みに興味を持つ。あるいはこれを取り入れたら、何か新しいビジネスにつながるのではないかとか、次の営業会議でこの話をしたら多少は賢く見てもらえるのではないかと考える。
もちろん新しさに敏感であることはよいことだ。問題は、「入ってくるもの」だけでは、その量が大きければ大きいほどに、閉鎖系のわなに陥ってしまうことにある。どんなに素晴らしい食べ物や飲み物であったとしても、摂取する一方では生命体が持たなくなる。
とかくドラッカーが強調するのは、イノベーションをはじめとするマネジメントの類は、日常業務ということである。つまり呼吸のようなもの。日常業務とは、毎日生きているということだ。
廃棄がないと、生命体としての健康も丸ごと失われてしまうことになる。それが、生命のダイナミズムと密接に関係していることも分かってくるはずだ。
この生物を基本とする考え方を、彼は「社会生態学」と呼んでいる。あまり聞き慣れないが、結構大事である。人も企業も何もかもが社会との生態系の基に営まれているという考え方である。
この社会生態学は、一般の社会科学のカテゴリーを超越している。これは重要なポイントである。会社もまた社会に生きる生き物である。それは自然界の生物と同じように固有の特性を備えており、そのようなものとして観察可能である。
関心があれば、ぜひ『イノベーションと企業家精神』(ダイヤモンド社、1985年)を開いてみてほしい。そこには生物としての企業や起業についての素晴らしい物語がたくさん掲載されている。それぞれが中心的な社会のプレーヤーとなり、やがて自ら変化をつくり出すようになる。
例えば、「ベンチャーのマネジメント」という章がある。これなどは目の覚めるような見事な記述で埋め尽くされているのだが、企業が誕生するリズミカルな胎動が始まってから、世の中に生まれ、途端に成長が止まって事業が成り立たなくなる恐ろしい段階をどう回避するかが丁寧に書かれている。こういう事例の多くには、禁忌の類いがいろいろ出てくる。
だいたいこの種の禁忌は、多くの経営者が決まって語る教訓にも通じている。すなわち、目先のことに惑わされて、本来の目的をおろそかにする傾向を戒めている。オセロと同じである。取れるからといって調子に乗って相手の石を取っていると、いつか自分の石の置き場所がなくなって選択肢を失い、ついには四隅をあっけなく取られてしまうことになる。