京都銀行グループは2023年10月に持ち株会社体制に移行。京都フィナンシャルグループを持ち株会社とし、京都銀行をはじめとする金融、非金融の子会社が並列となる形に再編成された。初代社長には京都銀行会長を兼務する土井伸宏氏が就任。インタビュー前編では、京都という特徴ある地域を支える金融グループの意義、持ち株会社体制移行の経緯などを聞いた。
■【前編】京都FG社長が語る、持ち株会社移行で目指す「銀行のモデルチェンジ」(本稿)
■【後編】京都FGが挑む、「閉塞感」を打ち破るグループ社員の意識改革
世界的な観光資源とものづくり企業が集積する地域
――京都という地域のポテンシャルについて、どう捉えていますか。
土井伸宏氏(以下敬称略) ご存じのとおり世界的な観光地である京都は、コロナ前の2019年には国内外から5300万人の観光客が訪れ、1兆円を超える観光消費を生み出していました。
そこから一転、2020年からの約3年間は、コロナ禍によって観光客が極端に落ち込みました。飲食、宿泊業などのダメージは非常に大きかったのは間違いありません。しかし、そこからの回復も、目を見張るものがあります。2022年は4361万人まで回復し、行動制限が解除された2023年はさらに増加する勢いです。ただ、現場で働くかたにいろいろ聞いてみると、コロナ禍前とはいささか状況が異なるようです。
いろいろな要因があると思いますが、一つはコロナ禍前から指摘されていたオーバーツーリズムの問題があります。回復した観光需要に対して、観光業の供給体制がコロナ禍前の水準に戻っていません。宿泊業の人員が確保できず、オペレーションが回らず稼働率を上げられない、あるいはタクシー業界では、コロナ禍で高齢のドライバーが引退してしまい、戻ってこないため車があっても走らせる人がいないという声を聞いています。オーバーツーリズム、人手不足問題の解決は一筋縄ではいきませんが、世界のかたが訪れる観光地としてさらに成熟していくために、官民が一体となって取り組む必要があると感じています。
一方で京都は、京セラ、任天堂、ニデック(旧・日本電産)などの世界的なメーカーが、ベンチャー企業として生まれてきた地域であり、伝統的に、新たな産業を受け入れる風土があります。一因として京都は伝統産業が盛んで、織物からスクリーン技術、清水焼からセラミック、花札から印刷技術などの産業に発展したという説もあります。また京都大学を中心とした研究開発者の頭脳が集積していることも、製造業の発展につながったという見方もできます。
地方発の企業は、大きくなると本社を東京に移してしまうことが多いのですが、これら京都発のグローバル企業は、本社を京都から移しません。登記上の本社ということでなく、財務も含めた本社機能を、引き続き京都に置かれています。企業のトップも京都に住んでいらっしゃいますので、私も頻繁にお会いすることができます。これは、当社にとって非常にありがたく、大きなメリットです。
しかし、そうした日本を代表するメーカーに続く新しい企業が、長らく京都から登場していないことに、大きな危機感を持っています。京都の産業界、商工会議所などと力を合わせて、当社グループとしても、産業振興、ベンチャー支援に改めて力を入れたいと考えています。