1945年8月は米国によって私たちは世界で初めてそして最も過酷な試練を受けた。それから66年後の2011年3月、今度は自らの手で世界最高レベルの災厄を日本にもたらしてしまった。この禍難は簡単に拭えるものではない。
日本が背負った十字架の重さ
いくら放射能汚染はたいしたことない、食品や水は安全だと、口角泡を飛ばしてみたところで世界中で湧き上がっている“風評被害”は収まらないだろう。
残念ながら私たちは、放射能汚染列島ニッポンという十字架を背負って生きていくしかなくなってしまった。
これは受け入れなければならない現実であり、こんな事故を引き起こすに至った東京電力と経済産業省の原子力安全・保安院の罪は極めて重い。
しかし、彼らを責め立てれば一時溜飲は下げられても、背中の重い十字架は消えないどころか、ますます重く感じることになる。
では私たちはこれから原子力に対してどのように向き合うべきなのだろうか。1つの選択肢は原子力からの完全撤退である。原子力フリーを宣言して一気に世界で最高のグリーンエネルギー大国を目指す。
もちろん、原子力を捨てて石油や石炭による発電に戻っているようでは背中に重い十字架を背負ってしまった甲斐は全くないので、原子力を捨てるからにはグリーンで世界一を目指すべきだ。
しかし、果たしてそれだけでよいのだろうか。「今回のことで原子力は怖いことを痛感させられたので手を引く。撤退するのも立派な勇気である」ということで。
格好の良い姿勢に見えるが、日本の将来を本当に考えている方針かと言えば、正しい選択だろうか。例えて言えば、何の担保もないのに永世中立国を目指すと宣言しているのと同じような危うさを感じる。
理想論だけでは現実の国家運営はできない。今回の福島第一原子力発電所の事故も、現実に直面することを避け、理想論に逃げた結果生じてしまったと言えなくもない。