実はこんなにイカを食べている日本人

「異変」のイカ、過去と未来を見る(前篇)

2017.05.19(Fri) 漆原 次郎
筆者プロフィール&コラム概要

イカを食べる歴史は縄文時代から

 日本人はイカを縄文時代から食べてきたようだ。青森県の三内丸山遺跡からは、アジ、サバ、イワシなどの骨のほかに、イカの口器が出土されており、食用だったと考えられている。また北海道森町の遺跡からは、約4000年前の縄文時代後期の鐸形土製品が見つかったが、その形はイカそのもの。ちなみに同町の名物は「いかめし」だ。

 古い文献にもイカの記述がある。奈良時代、733(天平5)年完成の『出雲国風土記』には「烏賊」(いか)の名がすでに現れているし、平安時代の927(延長5)年に完成した律令の施行細則『延喜式』にも、朝廷への献上物として「鮑(あわび)」「鮭」とともに「烏賊」が記されている。

江戸時代、すでにイカ料理は多様化

 江戸時代の資料からは、イカの食べ方が既に多様化していたことがうかがえる。江戸時代初期、1643(寛永20)年刊の料理書『料理物語』には、イカ料理として、吸物、なます、刺身、かまぼこ、煮物のほか、青和えが載っている。青和えは、枝豆などの青豆をすり潰してイカを和えたもの。料理の幅広さは今とそう変わらない。

 また、古医方家だった寺島良安が1712(正徳2)年に編纂した百科事典『和漢三才図会』には、「烏賊魚(いか)」と「柔魚(たちいか、するめいか)」の項目が記されている。前者では、皮が黒くて肉が白いこと、イカをついばみに来たカラスを水に入れて食べたとするのが「烏賊」の由来であること、また腹の中に墨があることなど、生物としてのイカが紹介されている。

 一方、後者の項目では、烏賊を乾かした「鮝(するめ)」について、肥州五島産が肉厚で味が優れること、炙って裂いて食べるとよいが、切って食べると味が劣ること、また、炙らず細かく刻むと魚の膾(なます)の代わりになることなどが記されている。

『和漢三才図会』にはさらに「障泥烏賊(あおりいか)」「龜甲烏賊」「針(はり)烏賊」「瑣管烏賊(しゃくはちいか)」「雛烏賊(ひないか)」なども記されている。すでにイカが相当なじみある魚介類だったことがうかがえる。

寺島良安編『和漢三才図会』中之巻、巻第五十一「江海無鱗魚」の「烏賊魚」と「柔魚」の項目。(所蔵:国立国会図書館)
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1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。


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