なぜか「ソース」で炒める日本の焼きそば

麺は中国、調味料は西洋、料理は日本オリジナル

2012.06.08(Fri) 澁川 祐子
筆者プロフィール&コラム概要

 そう思いながら1994年に出版された小菅桂子著『にっぽん洋食物語大全』(講談社+α文庫)を読んでいたら、〈年配の中国人の料理人の中にはソース焼きそばを浅草焼きそばと呼ぶ人もいる〉という一文が飛び込んできた。

 「ソース焼きそば=浅草焼きそば」だった。しかも、昭和10年代に浅草のお好み焼き屋に焼きそばというメニューがあった。この2点から、ソース焼きそばは戦前に誕生していたと考えるのが自然だろう。

 中華麺の普及が大正末期。ソースを使ったお好み焼きが誕生したのは昭和になってから。さらに、中華麺とソースが鉄板を介して出合ったのがおそらく昭和10年代だったのではないか。現在のところ、私はソース焼きそばの誕生をそうにらんでいる。

増え続けるご当地焼きそば

 第2次世界大戦中、ほとんどのソースメーカーが製造を中止した。戦後になると製造はすぐに復活し、闇市でうどんや雑炊といった食べものと一緒にソース焼きそばも売られるようになった。

 1950(昭和25)年頃には、粘りのある濃厚ソースが登場する。甘くこってりとした濃厚ソースは、食糧不足の世の中にあってどんなにかおいしく感じられただろうか。そんなソースで味つけした焼きそばは、空腹を抱えた当時の人々にとってまさにごちそうだったに違いない。

 こうして焼きそばは、戦後になって一気に市民権を得た。

 1963(昭和38)年には、日清食品がインスタント麺「日清焼そば」を発売。フライパンに水と麺を入れ、添付のソース味粉末をかけ、水分を蒸発させれば出来上がりという手軽さが受け、発売直後から爆発的ヒットになる。

 1975(昭和50)年には、「マルちゃん」でおなじみの東洋水産がチルド麺「焼そば3人前」を売り出し、家庭でも屋台の味が楽しめるようになった。同じ頃、焼きそばに特化した「焼きそばソース」も出回り始めた。

 富士宮やきそばをはじめ、町おこしを兼ねたご当地焼きそばが百花繚乱だ。今回、資料にあたっていて、全国津々浦々にご当地焼きそばがあることを知った。しかも、地ソースと呼ばれるその土地ならではのソースは、全国に数百種類もあると言われている。

 冒頭で、焼きそばは世界各地でその地域特有の味にアレンジされて広まったと述べた。世界レベルで見ても、すでにご当地焼きそばなのだ。それが日本では、ソースという洋風の調味料と組み合わさったことで無数の掛け算が生まれた。

 食感と味の好みを求めて、どこまでも細分化していく焼きそば。屋台の料理と侮っていたが、いま改めてこの料理の包容力に驚愕している。

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1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


食の源流探訪

日本人が日常茶飯としている定番食。あまたある食べものの中で、
なぜそれが定番になり得たのか。どのように日本化されていったのか。
「新・日本食」の源流からの流れを、歴史をひもときながら考察する。