夜道にぽつんと灯る明かり。遅くまで仕事をして帰ってきた堀越二郎は、その明かりに近づいていく。明かりの先は、駄菓子とパンを商う店。二郎は「シベリアを2つおくれ」と言う。それを聞いて店主は、パンの間に黒いものを挟んだサンドイッチ状の三角形のものを新聞紙に包んで渡す――。
これは、2013年7月に封切りになった宮崎駿監督の最新作「風立ちぬ」の1シーンだ。主人公の二郎が買ったこの「シベリア」なるお菓子らしきもの。それがいったい何物なのかとちょっとした話題になっている。
実は私は、この映画を見たときに「あ、あのシベリアだ!」と思った。というのも、本連載で前にメロンパンを調べていたときに、雑誌記事に懐かしのパンとしてシベリアが出てきたからだ。
そこには、カステラもしくはスポンジ生地に羊羹を挟んだもので、日本人が考案したものといった解説があった。いかにも昔の人が考えそうな組み合わせの菓子パンだなあと記憶に残っていた。
映画が話題になるにつれ、SNSやネットなどでシベリアに言及している記述を目にすることが増えた。そうした情報をまとめると、シベリアは明治時代の終わりから大正時代にかけて日本で生まれ、昭和初期には関東を中心にパン屋には必ず置かれていた人気のお菓子とのこと。いまでも、細々と売り続けている店があるらしい。
一度は定番化したものの、いつのまにか忘れられていった。そして、いま映画をきっかけに再び注目を集めている謎の菓子パン。本連載の「定番化したメニューの歴史をひもとく」というテーマからはちょっと外れるかもしれないが、今回はシベリアを取り上げてみよう。それによって、もしかしたら定番化していったものと、消えゆくものとを分ける何かが分かるかもしれない。
かつてはミルクホールの定番菓子
シベリアの来歴には、謎が多い。
まず、そのネーミング。名前の由来には、いくつもの説がある。よく聞くのが、羊羹の部分がツンドラの雪原を走るシベリア鉄道に見立てられたという説と、氷と凍土が層になった、シベリアの凍土の断面に似ているという説。ほかにも、1904(明治37)年に勃発した日露戦争に従軍した菓子職人が考案した、1918(大正7)年から始まったシベリア出兵にちなんでいる、などいろいろだ。