縁日で売られている屋台の焼きそばは、なんであんなにおいしいのだろう。
冷静に見れば、透明パックに無造作に詰め込まれたアレに、そんなに魅力があるとは思えない。肉は、切れっぱしがあるかないか。モヤシやキャベツだって、ぴろぴろと申し訳程度にくっついているだけのことが多い。“焼きそば”と名乗るからには、炒めた麺さえあれば看板に嘘偽りはないのだが、それにしたって・・・。
鉄板で大量にジャージャーと炒める、あの豪快な音とビジュアルにやられるのか。それとも、お祭り雰囲気が味覚に影響を及ぼしているのか。理由は分からない。ただ、あの香ばしいソースの匂いが、非日常のスイッチを押しているような気がする。
焼きそばの故郷は中国である。中華料理の炒麺(チャオミェン)がアジアを中心に各地へ広まり、その土地ならではのアレンジが加わり、地域色豊かな料理へと変貌を遂げた。
例えばタイの代表的な焼きそば「パッ・タイ」は、米麺に魚醤のナンプラー、砂糖、レモンなどで味をつけた甘い、酸っぱい、しょっぱいの三拍子揃った一品だ。インドネシアやマレーシアで食べられている「ミー・ゴレン」は中華麺を使い、ケチャップマニス(大豆を発酵させ、砂糖やショウガを加えた甘い醤油)とサンバル(辛味調味料)とで仕上げた、スパイシーなこってり味の焼きそばだ。
いずれもその土地になじみのある調味料を使っている。だが、日本の場合はなぜ醤油を使わなかったのだろうか。中華麺をソースと組み合わせたところに、日本の焼きそばの特異性がある。
中華料理屋にしかなかった焼きそば
ソース焼きそばの起源は、実は分かっていないことが多い。一般には第2次世界大戦直後の闇市で生まれた、とされている。だが、本当にそれまで存在していなかったのだろうか。まずは材料から、ソース焼きそば誕生に迫ってみよう。
焼きそばに使われる麺は、ラーメンに使うのと同じ中華麺である。ただ、ラーメンと違うのは生麺ではなく、あらかじめ蒸したり茹でたりして加熱処理したものが多い点だ。市販のものは一般に、ほぐれやすいよう油脂でコーティングされている。
本連載のインスタントラーメンの回ですでに述べたが、日本に中華麺が伝わったのは幕末である。各地の中華街を拠点に広まり、明治末期には「支那そば」の名で親しまれるようになった。広く普及したのは、1923(大正12)年の関東大震災以後である。焼け野原と化した町にラーメンの屋台が立つようになり、人々の胃袋を温めた。