なぜか「ソース」で炒める日本の焼きそば

麺は中国、調味料は西洋、料理は日本オリジナル

2012.06.08(Fri) 澁川 祐子
筆者プロフィール&コラム概要

 その後、1898(明治31)年に大阪の野村洋食料品製造所の「白玉ソース」、1900(明治33)年に神戸の安井商店(現阪神ソース)の「日の出ソース」と、関西圏を中心に次々にソースが売り出された。全国的に有名な「ブルドックソース」は、東京の三澤屋商店(現ブルドックソース)によって1905(明治38)年に「犬印ソース」として売り出されたのがはじまりだ。

 当初、日本人はこれを醤油と同じようにドボドボとかけて使おうとした。だが、本場イギリスのウスターソースは香辛料が利いていて、かなり辛い。そこで、日本のメーカーはくだものや野菜などで甘みを加えて、日本独自の味に改良を重ねていった。

 こうなると、同じウスターソースでも、イギリスのものとはもはや別物である。こうして醤油感覚で使える日本流ウスターソースは、洋食の普及とともに人々の間にハイカラな味として浸透していったのだ。

中華麺とソースの出合いは鉄板の上

 昭和に入ると、東京では「どんどん焼き」、関西では「一銭洋食」と呼ばれる、ソースを使った軽食が流行した。

 これは、水で溶いた小麦粉をクレープ状に焼いてキャベツやネギなどの具を載せ、ソースを塗ったもので、子どものおやつとして駄菓子屋などで売られていた。舶来のソース(と言いながら実際は日本流にアレンジされたもの)を使っているから「洋食」なのである。

 「どんどん焼き」や「一銭洋食」はその後、お好み焼きへと発展していく。

 東京の浅草にある「浅草染太郎」は、1937(昭和12)年から続く老舗のお好み焼き屋だ。1939(昭和14)年から連載が始まった高見順の小説『如何なる星の下に』には、「浅草染太郎」をモデルにしている「惚太郎」というお好み焼き屋が登場する。

 店では、客は大きな火鉢に鉄板を載せ、めいめい勝手にお好み焼きを焼いている。部屋の壁は、品書きが掲げられている。その中に、いかてん、えびてん、あんこ巻きなどに交じって「やきそば」が5銭とある。

 焼きそばはすでに戦前、お好み焼き屋で提供されていたのである。だが、残念なことにここで書かれている「やきそば」がソース焼きそばかどうかまでは分からない。ただ、お好み焼きとソースとの結びつきを考えるに、この「やきそば」の味つけにもソースを使っていた可能性が高いのではないか。

この連載記事のバックナンバー
トップページへ戻る

1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


食の源流探訪

日本人が日常茶飯としている定番食。あまたある食べものの中で、
なぜそれが定番になり得たのか。どのように日本化されていったのか。
「新・日本食」の源流からの流れを、歴史をひもときながら考察する。