創業以来、独創的な技術でプリンターや時計など数々の分野に革新を起こし続けてきたエプソン。作家・村上 龍の視点で、エプソンの技術に流れる独創性を考察する。
 

父が残した言葉

 わたしの父は、いろいろなものを保存するのが好きだった。また、日記をはじめ、さまざまな記録もつけていた。亡くなったとき、保存してあったものを受け取ったが、育児日記があって、その詳細な記述に驚いた。書き込みできる形式の、市販の書籍で、目次として、「生まれる前の母子の健康」「父母の思いと願い」「命名」「記念にはじめた貯金・保険・植樹」などの項目が、誕生から、成長していく順番に並び、かなりのスペースが用意されていて、父は青インクの万年筆でびっしりと書き込んでいた。父は、美術教師、画家だったが、書くことも好きだった。

「父母の思いと願い」というページに、次のように書かれていた。
「小さき息子よ、これを読むのはだいぶ先だろうが、気を悪くするなよ。はじめは、絵の勉強の邪魔になりそうだし、出費もかさむので、お前は、生まれてこないほうがいいと思っていたのだ」 

 こんなことを書く父親がいるだろうかと思った。

「だが、いつしか、俺の生命の片割れは、たとえどんなやつだろうと、現れたほうがいいのかもしれないと思いはじめた。そして、どうせ生まれてくるなら、何かの傑物になれ、独創性ある仕事をする人になれと願いながら出現を待ったのだ」

 出現って何なんだ、とつぶやきながら読み進んでいると、「記念にはじめた貯金・保険・植樹」というページがあった。「小さき我が子よ、恨むなかれ。貯金する余裕もなし。樹を植える場所もなし。もちろん金もなし。精神的な支援のみだ。だが、そうだな。何としても、独創性だけは身につけてくれ。独創性。それは貯金や植樹などよりはるかに重要なのだ」
 

独創性、そもそも何なのか

 独創性、よく使われる言葉だ。「他人を真似ることなく、独自の考えでものごとを作り出す性質・能力」と辞書(大辞林 第三版)には記してある。だが、その定義はかなり曖昧だ。独自の考えで作り出した物事の、「価値」への言及がない。その価値を決めるのは誰かという問題もある。「物」や「事」の価値を決める基準は何なのだろうか。商品や製品の場合は「売れる」だけではなく、「社会を変えてしまうような革新性」ということだろうか。イノベーションという言葉が、そういった概念を象徴する。