江戸末期、鎖国令を犯してまで脱国し、8年の米国留学を経て帰国した新島襄が創立した同志社英学校を礎とする同志社大学は、創立当初から「国際主義」を教育理念として掲げた、日本で最も先駆的な国際派の大学の1つだ。

創立者 新島 襄


しかし、1875年の創立から約140年を経た今、「国際主義」は同志社の独自性を表す言葉ではなくなりつつある。グローバル化の波が押し寄せる中で、産業界から大学教育に対して「即戦力のグローバル人材の育成」を求める声が高まり、教育目標の中に「国際」「グローバル」の文字を散りばめるのは、ある意味でデファクトスタンダードとなっている。そうした中で、元祖・国際派大学として、いかに存在感を発揮していくのだろうか。
 

学部レベルの専門教育はあっという間に賞味期限切れに

 同志社大学の村田晃嗣学長は、「グローバル社会の特徴の1つは変化のスピードが速いこと。大学の学部レベルの専門教育程度のことは、放っておけばあっという間に賞味期限切れになってしまう」と指摘する。しかし、賞味期限切れにしないための方法が2つあるそうだ。1つは大学を卒業しても学び続けるモチベーションを持つこと。もうひとつは変化に対応できる知的な基礎体力を付けること。

同志社大学 学長 村田 晃嗣 氏


「法律学しか知りません、経済学しか勉強していませんでは、知的な平面が狭く、変化の激しい時代に対応しにくい。知識の裾野を広げ、複数の知識を組み合わせて活用できる広い平面を持っておくことが大切で、そのためにも、リベラルアーツ=教養教育に力を入れていきたい」と、基本に立ち返った施策を打ち出す。

もともと欧米のリベラルアーツ・カレッジは、基礎的な教養を養い、思考力を高めることを主眼とした少人数体制の教育を特徴としている。日本国内の教養単科大学として高く評価されている国際基督教大学も1学年600人程度、秋田県の国際教養大学に至っては、1学年の定員が200人以下と、一般的な大学規模と比べるとかなりコンパクトだ。全学で2万8000人もの学生を擁する大規模総合大学である同志社で、質の高いリベラルアーツ教育を実現することは可能なのだろうか。
 

教養教育を全て英語で学ぶ特別コースを設置

 村田学長は「教養教育全体のレベルアップを図ると同時に、一部の学生だけが履修できる教養教育を全て英語で学ぶ特別なプログラムを創設する」考えだ。

「本来であれば、グローバル教育を全学的に推進するためには、1学年6000人のうち3000人程度がこのプログラムを受講できる態勢を整えるのが望ましいのかもしれません。しかし、全体の半数が受講可能なレベルで英語の授業をしようとすると“インターナショナル ポリティクス イズ ベリー コンプリケイティッド(国際政治は非常に複雑だ)”といった程度の非常にわかりやすい英単語を並べる授業しかできず、トップクラスの学生には退屈極まりないものになってしまいます」。

「良質のリベラルアーツ教育を英語で講義し、高度な概念を英語でディスカッションし、英語でリポートを書く―これについて来られるのは、せいぜい300人程度。とすれば、割り切って、全体の5%だけを対象にした最高のプログラムを実現したい」と言う。

これに加え、論理的思考能力が高く、向学心もあるが、英語能力だけが足りない学生に対するプログラムの設置も検討している。

同志社大学では、1972年以来、42年間に渡ってAssociated Kyoto Programとして、創立者・新島襄の母校であるアーモストカレッジをはじめとする米国の名門リベラルアーツ大学から日本語や日本文化を学ぶ学生を受け入れているほか、2010年からは米国の総合大学からの留学生の受け入れも開始。さらに、ドイツの名門テュービンゲン大学が同志社内に日本センターを設置しており、欧米の一流大学との連携は緊密だ。

「日本語で日本の文化や経済を学ぶために同志社にやってきた留学生と、能力や向学心はあるけれど、英語力が十分ではない学生をセットにして、基本的には日本語で授業展開しながらも、時には英語で議論するなど、外国人と日本人が机を並べ、疑似留学的な環境を作り出し、国際感覚や英語力が磨く機会を提供するという。但し、こちらのプログラムに参加できるのも、200-300人程度になるだろう。

留学生との授業風景

知的なジェラシーを引き出せるか

 1学年6000人のうち、せいぜい1割程度の学生が全て英語での教養教育プログラムを受講できたり、外国人留学生と机を並べて教養教育を学ぶチャンスを得られる。敢えて、公平ではないシステムの導入に踏み出そうとする同志社大学。「全員留学」「外国人教員比率倍増」などの数値目標を掲げ、クオリティと引き替えに目標達成を目指すのではなく、クオリティを最重視して、21世紀に通用する人材を育てようという戦略だ。

村田学長は「もちろん、日本語で提供する教養科目も全体としてレベルアップを図ります。しかし、“特別な1割”に入ることができなかった9割の学生には、大いに知的なジェラシーを感じてほしいのです」と強調する。

そのジェラシーがエンジンとなって、2年次からは特別プログラムを受講できるように頑張ろうと奮起したり、それもかなわなければ、海外インターンシップや留学でレベルアップを目指す学生が1-2割出てきた時に、1割の学生を対象にしたプログラムの効果が2倍、3倍へと膨らむことを期待する。
 

宗教観こそグローバル化時代に求められる

 さらに、グローバル化時代に同志社の強みが発揮できるのが宗教教育だ。キリスト教排斥運動が根強い時代に、キリスト教主義に基づく教育機関として設立された歴史を持つ同大には、「一神教学際研究センター」があり、キリスト教はもちろんのこと、イスラム教、ユダヤ教などの研究も積み重ねてきた。

村田学長は「学生がクリスチャンになる必要はないし、個々の学生が宗教的な信仰を持つかどうかは個人の自由。しかし、宗教に対するしっかりとした理解を持ち、宗教を学問的に捉え、異なる宗教や、宗教を信仰する人に接するマナーをわきまえた学生を育てることは、グローバル化時代には欠かせないことだと考える」と言う。

「企業のボーダーレス化が進み、ある日、中東への駐在の辞令が出たり、日本の工場にイスラム教徒の労働者を受け入れることも珍しいことではなくなっています。コーランに対して侮蔑的な態度をとったり、イスラムの慣習についての理解がなければ、まともなビジネスはできないし、従業員の管理もできません。グローバル社会を生きていくためには英語の能力はもちろん必要です、しかし、単にTOEICなどの英語能力試験で高得点を獲得すれば事足りるわけではありません。宗教に対する理解なくして、本当の意味でのグローバル人材にはなれない」と言い切る。その言葉からは、付け焼き刃ではない、同志社大学が蓄積してきた国際力への自信がうかがえた。
 

<取材後記>

 「少子化が進み、厳しい競争環境が続く中、関西私学の雄の地位をいかに守るのか」と質問を投げかけると、村田学長は「関西トップと評価されるのは有り難いことです。しかし、所詮は、全国区ではなく、関西という殻から抜け出せていないと言われているようなもの。その狭い範囲での地位を守ることに汲々としているようでは、相対的な地位は下がる一方です」と気色ばんだ。

同志社大学は2014年春に東京都中央区に新たに東京オフィスを開設、学生の就職活動の拠点として活用するほか、積極的に中央官庁や企業・メディアから情報収集をしたり、社会人講座の開設などを通じて情報を発信し、関西圏以外でも存在感を高めて行く考えだ。

一方で、拠点である「京都」のブランドも最大限に活用。学年によって2拠点に分かれていた文系4学部を2013年春から京都市中心部にある今出川キャンパスに集約した。18歳人口が2018年から再び減少に転じることに先手を打ち、利便性が高い立地のキャンパスの魅力を打ち出し、受験生を引きつける。

村田学長は「金閣寺の美しさ、相国寺の鐘の音は学生の心にすぐには響かないかもしれないが、卒業して10年、20年経った時に、京都で青春時代を過ごした価値は必ずわかるはず。京都には、東京とは違う時差を伴った魅力がある」と言う。しかし、その魅力をいかに受験生に発信していくのか。東京一極集中は一大学だけで解決出来る問題ではないが、全国区の大学として存在感を高めていくためには、若者が、10年後ではなく、今、価値を見いだせるような魅力を発信していく仕掛けや工夫を練っているという。
 

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