今や筋子を圧倒、「イクラ」はロシアからやって来た

「鮭の卵」への眼差し(前篇)

2018.09.14(Fri) 漆原 次郎
筆者プロフィール&コラム概要

 江戸時代になると、1697(元禄10)年に人見必大が刊行した本草書『本朝食鑑』に「鮭子(はららご)」の記述がある。卵巣のことで筋子と呼ばれるものとしている。

 1712(正徳2)年に寺島良安が刊行した百科事典『和漢三才図会』でも「波良良古(はららご)」を伝えている。数千粒が透きとおり、1つの紅点があり、稻藁(いなわら)に包んで水中の暗いところに入れて養うと翌年の鮭が多い、などとある。また、食用としては「筯子・甘子」と言う人がいるとし、胞(はら)を塩漬けにしてから裂いて、粒々を晒し乾かし、遠くへ運んでこれを賞する、としている。

松前や亘理、北日本の地元食として

 蝦夷(北海道)商家だった村山伝兵衛が松前奉行の要請により文化年間(1804~1818)に書いた『松前産物大概鑑』には、さまざまな海産物について記される中に「鮭ノ部」があり、卵については「筋子」と「ゾロリ子」の説明がある。

<筋子 是ハ鮭塩切候節腹ヨリ取出シ候侭簾(す)ヘ並ベ塩切仕程能キ頃樽詰仕候>

<ゾロリ子 是ハ鮭子筋子ニ不相成筋ノ繁損シ一粒放レニ成リ候ヲ塩漬ニ仕是ヲゾロリ子ト唱ヘ甲候>

 この2つからは、鮭の卵を「筋子」として食べるが、筋子から離れた粒々を塩漬けにして「ゾロリ子」として食べていたことが伺える。ゾロリ子は、今のイクラに近い加工品だったようだ。

 一方、東北地方では「イクラ丼」の元祖とも言われる「はらこ飯」が江戸時代には食べられていた。漁で獲た鮭を煮込んだ汁で米を炊き込み、そこに鮭の身と「はらこ」、つまりイクラを乗せて食べる。阿武隈川河口近くの亘理(わたり)では、鮭の地引網が大漁だったとき、漁師により「はらこ飯」が振る舞われ、当地を訪れた伊達政宗にも献上されたという。

「イクラ丼」の元祖とも言われる「はらこ飯」。
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1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。


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