人びとを飢えと孤独から救った大正期の食堂

『胃袋の近代』に「寄り集まって食べること」の意味を探る

2018.08.10(Fri) 漆原 次郎
筆者プロフィール&コラム概要

 だが、こうした公営食堂の運営は、社会の課題を根本的に解決する策とはならず、開設から数年後には衰退し、民営食堂などが拡大していったという。

 胃袋を満たすだけでなく、職を探す、雨露をしのぐ、今後のことを相談するといった人びとも、食堂あるいは食堂つき簡易宿泊施設に足を運んだ。著者は、近代の「食堂」には、こうした「多機能性」があったと指摘する。

人らしい生き方をもたらした「工場食」「共同炊事」

「人びとが寄り集まって食べること」は、勤労の場でも見られた。

 近代以前にも、勤労の場における労働者への食をめぐっては「飯場(はんば)」という請負制度があったが、近代に入ると、工場の経営者たちが直営の食堂を設けるようになったという。そこには、女工を含む労働者を一人の人間として扱う「人格向上主義」をとる実業家の意志もあったのだ。

 とはいえ、工場ごとに食事の質も量も異なる。その差は、工員たちの不平不満や争議の種になりうるものだった。そこで、中小規模の工場主たちが資金を出し合い「共同炊事」の仕組みをとり始めた。朝と夕にはご飯、味噌汁、漬物、また、昼にはご飯、煮付、漬物といった食事が共同炊事場で作られて各工場へ配達され、どの工場で働く工員たちも皆それを食べたという。<工手ノ待遇ノ統一>(当時の炊事組合書類より)を図ることは、経営者側にとって労働力の安定確保のための重要事項だったのだ。

 共同炊事は、工場だけでなく遊郭でも行われた。娼婦たちは、待遇不満に対するストライキを起こし、争議の末に「炊事を一緒にする」ことを勝ちとったのだ。それは、娼婦どうしだけでなく、楼主ともども娼婦と同じ釜の飯を食べるというものだった。当時の新聞記事は<雇主と被雇人――それは多くの場合、利害相反したものだが、少なくともそれ等の人々が同じ釜の飯を食ひ、味噌汁を啜る時だけは、一寸温かい気持ちになる>と記した。

「沈黙する大衆」の「胃袋」を見つめた先にある歴史

 地方から出てきて、都市の一膳飯屋で飢えをしのぐばかりの「孤立化した胃袋」は、民営食堂、公営食堂、工場食において再編成され「集団化した胃袋」になった。そして、そのことは、胃袋たちを「自律」させたり「連帯」させたりするといった、社会的な意味も伴うものだったのだ。近代の日本をつくり、現代の日本にもつながっていく、食のあり方の大きな変化を、生き生きとした事例とともに知ることができる。

 過去のある時代において、人びとが「何を本当に食べてきたのか」を探ることは容易ではない。大衆とは沈黙しているものだからだ。だが、その大衆の日常茶飯事にこそ、その時代における社会の実相がある。『胃袋の近代』の著者は「サイレント・マジョリティ」を構成する人びとから目を逸らすことなく、彼ら彼女らの「胃袋」を見つめることによって、ひとつの新たな歴史を私たちに提示してくれた。

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1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。


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