本土復帰した沖縄で産業の柱になった果物

シークヮーサーと沖縄の人々の“共生”(前篇)

2018.02.09(Fri) 漆原 次郎
筆者プロフィール&コラム概要

「クニブ」も沖縄の柑橘類によく使われる言葉だ。「クニブ」は、本土ではミカン科の低木「九年母(くねんぼ)」に当たる沖縄言葉とされる。ただし、沖縄でのクニブは、本土での九年母よりも広く柑橘類を総称する表現として使われている。「イシクニブ」や「ヒージャークニブ」などが(広義の)シークヮーサーの品種としてある。

「クガニー」もよく使われる。これは「黄金(こがね)」の沖縄言葉。熟した柑橘類の実が黄金色になることから、こう呼ばれるという。輝きを放つ果実を「黄金」と形容したのだろう。

個人利用から産業利用への転換

 いまは「シークヮーサー」の名を冠した飲料、飴、酢などの商品が全国に出まわっている。だが、少なくとも昭和時代半ばまでは、この柑橘類は沖縄県北部の「山原(やんばる)」と呼ばれる地域で細々と利用される程度だった。

 当地では、各家庭の敷地内に1~2本のシークヮーサーが植えられて個人利用されていた。また、野山に自生するシークヮーサーについては、鳥が実をついばんで種を運ぶことで自然に繁殖する。その果実を字(あざ)ごとに分かち合っていたという。

 こうした人々とシークヮーサーの関わりに変化が見られるようになったのは1960年代半ばから。沖縄本土復帰の1972(昭和47)年より前のことだ。当時の琉球政府は、シークヮーサーを産業の対象に推奨するようになった。

 やんばるの地域の一画にあるのが大宜味村(おおぎみそん)だ。かねてから長寿の人々が多く、1993(平成5)年には「長寿日本一宣言」もしている。県内有数のシークヮーサー自生地であり、年配者たちの間には「健康維持のためにはシークヮーサーを食べなくては」という習慣が残っているという。

大宜味村の自然風景。
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1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。


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