―― 一見、真逆にありそうな2つを合わせて考えたのですね。

石井 はい。これらを踏まえて、渋沢の哲学にはよく「士魂商才」という言葉が出てきます。武士の魂と商売の才を共に発揮することの意味が表現されています。彼は、事業を考える際、そのアイデアの発想時から両方を同じ位置に見て計画していたのでしょう。

 そして、このような「道徳経済合一」を合言葉に、日本の近代化を目指した彼の精神は、まさに今の日本でも求められるのではないでしょうか。

資本集めにおいても、渋沢流のこだわりがあった

渋沢 栄一(しぶさわ・えいいち):1840〜1931年。埼玉県の農家に生まれ、若い頃に論語を学ぶ。明治維新の後、大蔵省を辞してからは、日本初の銀行となる第一国立銀行(現・みずほ銀行)の総監役に。その後、大阪紡績会社や東京瓦斯、田園都市(現・東京急行電鉄)、東京証券取引所、各鉄道会社をはじめ、約500もの企業に関わる。また、養育院の院長を務めるなど、社会活動にも力を注いだ。(写真:国立国会図書館

――「今の日本でも求められる」という言葉の意味を教えてください。

石井 日本は今、もう一度経済を作り直さなければいけない時期に来ています。以前の日本的経営は大企業をベースにした考え方でしたが、バブル経済崩壊後、いわゆる失われた10年、20年を経た現在の日本において、それでは厳しいという考えになってきました。その後、一時はアメリカ的な経営も評価されましたが、それもまた限界を感じるケースが出ています。こういった中で、ゼロから企業の経営を考えなければいけません。

 その時に、「利益に走っても道徳がなければ駄目だ」と考え、一方で「道徳があっても利益が出て継続性がなければいけない」と考えた渋沢の経営方針は、大切になるのではないでしょうか。

 さらに、グローバル化した現代では、先進国が新興国を舞台にビジネスを行うケースもあります。新興国は、いわば渋沢が生きた時代の日本ですよね。

 そのときに、私利に走って搾取をするのではなく、道徳に基づいて公益追求ができるのか。また、道徳ばかりを重視して、そもそもの事業が倒れてしまわないか。道徳と経済の両輪を回し、その国の生活を豊かにする経営者が求められているといえます。