時は決して歩みを止めることはない。1人のリビジョニスト(修正論者)が11月20日、世界でも最も気候の良い都市の1つであろう米サンディエゴで静かに息を引き取った。チャルマーズ・ジョンソン氏である。
1人のリビジョニストの死、それは時代の変化を告げる
早速、彼についての記事が届いた。谷口智彦さんの「チャルマーズ・ジョンソンの死」と英フィナンシャル・タイムズ紙の「アジアが西側と同じ発展を目指すとは限らない」である。
リビジョニストについては今さら解説する必要もないと思うが、この際だから、少しだけかつての日本の“栄光”を懐かしく思い出してみたい。
今から50年前に始まった朝鮮戦争が3年で休戦を迎えたあと、米国とソ連をそれぞれ頂点に東西は冷戦状態に突入する。米ソは激しい軍拡と宇宙開発競争に乗り出した。
軍隊を持たない日本に対して米国は、軍事力にって西側諸国に貢献させるのをあきらめ経済発展を優先させる政策を採る。
日本は産業の保護が容認され、電機、自動車、機械などの産業が急速に成長する。
しかし、1970年代後半から80年代にかけて、競争力をつけた日本企業は米国の企業との間で産業摩擦を起こす。
とりわけ自動車は欧州が高率の関税をかけていたこともあって、自由貿易を原則とする米国に向かって“洪水”のような輸出が始まった。
一方、日本は既に世界第2位の経済大国に成長していた。日本市場という恩恵を日本企業は独占することになった。
世界第2位でさらに拡大を続ける市場と米国への輸出のおかげで同業他社が林立しても企業経営が成り立ったのだ。結果として国内企業の過当競争で日本市場は飽和状況となり、関税がなくても米国企業が入り込める隙がなかった。