ロシア連邦のボリス・エリツィン初代大統領は1999年の大晦日に突然辞任を発表して、ウラジーミル・プーチン首相を大統領代行に任命した。エリツィン大統領の後任指名を受けたプーチン大統領代行は2000年3月26日の大統領選挙で当選、同年5月7日、ロシア連邦として2代目の大統領に就任した(肩書きはすべて当時)。

 当時、ロシアは国家分裂の危機に瀕していた。ゆえに、プーチン新大統領は分裂寸前の国家を救うべく「強いロシア」を標榜し、中央集権体制の確立に腐心した。

「世界で最も影響力ある人物」にプーチン大統領、フォーブス誌

米フォーブス誌は2013年の最も影響力のあった人物としてロシアのウラジーミル・プーチン大統領を選んだ〔AFPBB News

 幸い、第1期・第2期政権では油価上昇を受け、国内経済の立て直しと中央集権体制確立に成功したと総括できよう。

 プーチン大統領はその後、連続3選を禁止するロシア憲法の規定に従いドミトリー・メドベージェフ第一副首相を大統領後任候補に指名、同候補は大統領選挙で当選した。

 メドベージェフ候補が大統領に就任すると、プーチン氏は首相に就任し、ここに両者によるいわゆる「タンデム(2頭立て馬車)政権」が誕生することになった。

 プーチン首相は4年間の首相任期を全うし、2012年3月4日の大統領選挙に出馬して当選。同年5月7日、3期目のロシア大統領に就任した。

 現在、ロシアには数多くの大規模新規インフラ整備構想(主に新規パイプライン建設構想)や、東シベリア・極東資源開発構想等が存在する。

 本稿では、プーチン首相時代から現在の第3期プーチン大統領までの軌跡を概観し、現在のプーチン新政権のエネルギー戦略と東シベリア・極東発展構想、日露エネルギー関係等を考察したい。

2011年のロシア下院選挙と2012年の大統領選挙

 プーチン首相は2011年9月24日、モスクワ市内のルィジュニキ公園で開催された「統一ロシア」党大会にて、2012年3月4日の次期大統領選挙に立候補宣言した。

 形式的には、最初にメドベージェフ大統領がプーチン首相に対し大統領選挙立候補を提案、その演説を受けプーチン首相が立候補を受諾した。その後プーチン首相はメドベージェフ大統領に対し首相職を提案、メドベージェフ大統領がそれを受けるという形となった。

 ロシアでは2011年12月4日に第6期下院選挙が実施され、政党比例名簿代表制により、7政党が450議席を争った。投票率は60.2%(前回63.8%)となり、政権与党「統一ロシア」の得票率は49.5%(前回64.3%)、獲得議席数238議席(前回315議席)となった。

 以下、(2)ロシア共産党92議席(同57議席)、(3)公正ロシア64(同38)、(4)ロシア自民党56(同40)となり、政権与党の凋落が顕著となった。

 この議会選挙結果が、2012年3月の大統領選挙に影響を与えたことは容易に想像できる。3月の大統領選挙ではプーチン首相以外に有力候補者は存在せず、プーチン首相が大統領職に復帰することは確実と言えた。