「天丼」の進化は屋台系とお座敷系の2系統

“黒天丼”と“白天丼”はどちらが先に生まれたのか

2013.04.12(Fri) 澁川 祐子
筆者プロフィール&コラム概要

 こうして江戸のファストフードとして人気を博したてんぷらは、江戸後期になって新たな展開を見せる。その1つがお座敷てんぷらの登場であり、もう1つが天丼の誕生である。

 1836(天保7)年刊行の『江戸名物狂詩選』には、岡場所(私娼街)として知られた深川櫓下の「金麩羅屋(きんぷらや)」を詠んだ歌がある。「金麩羅」とは、卵の黄味やソバ粉を使ったてんぷらのこと。こうした趣向を凝らしたてんぷらが、幕末の頃にはお座敷のある店で提供されるようになっていた。ほかにもてんぷら鍋をお座敷に持ち込んで、その場でてんぷらを揚げる「出張てんぷら」など、てんぷらの高級化が進んでいった。

 一方で、屋台ではより手軽に空腹を満たすためにてんぷらをどんぶり飯にのっけて、天つゆをかけた「天丼」が誕生する。

 どんぶりの元祖と言われる鰻丼が登場したのは、文化年間(1804~18)とする説が一般的だ。当時、鰻屋も屋台が中心だったから、同じように軒を連ねるてんぷら屋が鰻屋の発明に倣ったとしても不思議はない。

 2002年に閉店した新橋の「橋善」は、創業1831(天保2)年。閉店するまで、現存する最も古いてんぷら屋として親しまれ、天丼の元祖とも呼ばれていた。

 創業者の橋本善吉は蕎麦屋で修業したのち、新橋の川沿いに蕎麦屋の屋台を出した。最初は蕎麦だけを出していたが、次第にてんぷらを出すようになり、さらには天丼を売るようになったという。本当に元祖かどうかは定かではないが、少なくともさきがけであったことは確かだろう。

 こうして江戸後期に誕生した天丼は、明治期に入ってさらに庶民の味として広まっていくのである。

江戸の屋台の面影を残す黒天丼

 天丼好きの人はよくご存じだと思うが、天丼には黒っぽい天丼と白っぽい天丼の2種類がある。それがなぜなのか、今回調べるまでは知らなかったのだが、理由は油とつゆにあった。

 黒っぽい天丼は、ゴマ油で揚げ、濃い丼つゆをかけたものだ。『別冊サライ』1998年10月17日号では、日本橋室町にあるてんぷら屋「はやし」の店主、斎藤秀豊がてんぷらの揚げ方には2種の系譜があると述べている。

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1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


食の源流探訪

日本人が日常茶飯としている定番食。あまたある食べものの中で、
なぜそれが定番になり得たのか。どのように日本化されていったのか。
「新・日本食」の源流からの流れを、歴史をひもときながら考察する。