「天丼」の進化は屋台系とお座敷系の2系統

“黒天丼”と“白天丼”はどちらが先に生まれたのか

2013.04.12(Fri) 澁川 祐子
筆者プロフィール&コラム概要

 <屋台の時代、天ぷらは胡麻油で揚げていました。その伝統を受け継ぐ店では今も胡麻油で揚げ、新進の店は香りも色も薄い太白油(たいはくゆ)や綿実油などを使って揚げます。それから揚げる温度が違う。胡麻油で昔ながらに揚げる場合、油は二百度近い高温だと思います。この温度ですとパリッと揚がり、それを江戸風と言う人は多いです。>

 太白油もゴマから採った油だが、一般のゴマ油が焙煎してから圧搾するのと違い、生のゴマを搾ったものだ。そのため、ゴマ油特有のコクはあるが香りはなく、揚げあがりは白く軽い口当たりになる。つまり、新しくできたお座敷てんぷらの店はより白くさっくりと揚がる油を使い、屋台の黒くこんがりとしたてんぷらとは差別化を図っていたのである。

 また、江戸時代には、油は貴重な材料だった。そのため、揚げ油を入れ替えることなく、少なくなったら注ぎ足して使うのが通例だった。同じ油を使い続けていると、当然のことながら衣は黒っぽく重くなる。そこへ江戸前の濃いタレをかけたのが、屋台から生まれた天丼だったのである。

 一方、お座敷てんぷらはその後さらに洗練されていく。関東大震災を機に東西で人の行き来が生まれ、魚介を中心とした関東風のこってりとしたてんぷらが関西に持ち込まれるのと同時に、野菜を中心とした関西風のあっさりとしたてんぷらが関東に流入した。ダシの効いたつゆや塩で食べる食べ方もこの頃に関東に持ち込まれたとする説がある。

現存する中で最古のてんぷら屋とされる東京・浅草の「三定」と天丼。創業1837(天保8)年。

 屋台から生まれ、大衆化路線と高級化路線に二極化したてんぷら。やがてお座敷でも天丼が出されるようになり、黒い天丼と白い天丼が並存していまに至っているのである。

 現在、浅草には老舗と呼ばれるてんぷら屋がいくつも軒を連ねている。その多くは、黒っぽい天丼がウリだ。こってりと胡麻油で揚げ、濃い醤油のつゆをしっかりしみ込ませた熱々の天丼。そこには、かつて江戸の街をにぎわしていた屋台の風情がしっかりと息づいていたのだった。

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1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


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日本人が日常茶飯としている定番食。あまたある食べものの中で、
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「新・日本食」の源流からの流れを、歴史をひもときながら考察する。