「天丼」の進化は屋台系とお座敷系の2系統

“黒天丼”と“白天丼”はどちらが先に生まれたのか

2013.04.12(Fri) 澁川 祐子
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 てんぷらには、大人になったいまでもちょっと敷居が高いイメージがある。だが、それが天丼になったとたん、ぐっと身近な料理になるから不思議だ。

 有田焼の派手などんぶりにエビやキス、イカなどの魚介類、それにナスやシシトウなどの野菜のてんぷらがてんこ盛りになっているさまは、お世辞にもお上品な姿とは言いがたい。 

 まずは天つゆとご飯の湯気でちょっとクタッとなったてんぷらにかぶりつき、その下を掘り返すようにして、天つゆがしみたご飯をかきこむ。天つゆにてんぷらの油がほんのり混ざっているところが、またコクがあっていい。合間にお味噌汁をすすりながら、エビは最後までとっておこうかなんて考えながら、再びどんぶりに箸を戻す。

天丼。丸いどんぶりのなかに、所せましとエビ、ナス、シシトウなどのてんぷらが盛られる。

 食べ始めたら、会話なんてそっちのけで最後のひとすくいまで一気。天丼は、「たいらげる」という言葉がよく似合う料理だ。

 なぜどんぶりにのっけて天つゆをかけただけで、庶民の味にさま変わりするのか。

 それは単に蕎麦屋の定番メニューだからというわけでもない気がする。てんぷらと天丼。その両極端なイメージの裏には、どんないきさつがあったのか。今回は、天丼のルーツをたどってみよう。

長崎の甘いてんぷらから江戸の魚介てんぷらへ

 てんぷらは、鰻、鮨、蕎麦と並んで江戸の四大食と称されるが、その普及は最も遅い。てんぷらの原型「長崎てんぷら」が登場したのは16世紀とされるが、現在のようなてんぷらの味が完成するのは、江戸中期の18世紀になってからのことだ。

 「長崎てんぷら」のルーツは南蛮料理で、衣が厚く、味がついているのが特徴だ。小麦粉に卵(卵黄の場合も)、砂糖、酒、塩、水を加えて衣をつくり、タネにつけてラードで揚げる。衣に味があるので、天つゆなどにつけず、そのまま食べる。ぼってりした重めの衣で、てんぷらというよりもフリッターに似た料理である。

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1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


食の源流探訪

日本人が日常茶飯としている定番食。あまたある食べものの中で、
なぜそれが定番になり得たのか。どのように日本化されていったのか。
「新・日本食」の源流からの流れを、歴史をひもときながら考察する。