てんぷらには、大人になったいまでもちょっと敷居が高いイメージがある。だが、それが天丼になったとたん、ぐっと身近な料理になるから不思議だ。
有田焼の派手などんぶりにエビやキス、イカなどの魚介類、それにナスやシシトウなどの野菜のてんぷらがてんこ盛りになっているさまは、お世辞にもお上品な姿とは言いがたい。
まずは天つゆとご飯の湯気でちょっとクタッとなったてんぷらにかぶりつき、その下を掘り返すようにして、天つゆがしみたご飯をかきこむ。天つゆにてんぷらの油がほんのり混ざっているところが、またコクがあっていい。合間にお味噌汁をすすりながら、エビは最後までとっておこうかなんて考えながら、再びどんぶりに箸を戻す。
食べ始めたら、会話なんてそっちのけで最後のひとすくいまで一気。天丼は、「たいらげる」という言葉がよく似合う料理だ。
なぜどんぶりにのっけて天つゆをかけただけで、庶民の味にさま変わりするのか。
それは単に蕎麦屋の定番メニューだからというわけでもない気がする。てんぷらと天丼。その両極端なイメージの裏には、どんないきさつがあったのか。今回は、天丼のルーツをたどってみよう。
長崎の甘いてんぷらから江戸の魚介てんぷらへ
てんぷらは、鰻、鮨、蕎麦と並んで江戸の四大食と称されるが、その普及は最も遅い。てんぷらの原型「長崎てんぷら」が登場したのは16世紀とされるが、現在のようなてんぷらの味が完成するのは、江戸中期の18世紀になってからのことだ。
「長崎てんぷら」のルーツは南蛮料理で、衣が厚く、味がついているのが特徴だ。小麦粉に卵(卵黄の場合も)、砂糖、酒、塩、水を加えて衣をつくり、タネにつけてラードで揚げる。衣に味があるので、天つゆなどにつけず、そのまま食べる。ぼってりした重めの衣で、てんぷらというよりもフリッターに似た料理である。