「黄色いモンブラン」は日本の発明

アルプスの山々に思いを馳せて自由が丘で誕生

2012.04.13(Fri) 澁川 祐子
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 なるほど、これなら「白い山」と呼ぶのも納得だ。さらにこのお菓子がパリに伝わり、洗練されたものが現在フランスで食べられているモンブランになったとされている。

 モンブランで有名なパリのティーサロンと言えば創業1903年の「アンジェリーナ」だ。当時、この店のパティシエの妻がイタリア人で、イタリアの郷土菓子モンテビアンコをもとに現在のモンブランをパリで初めて売り出したと伝えられている。

 ただし、メニューにいつモンブランが登場したか定かではないため、“初めて”かは疑問符がつく。が、この店の存在がモンブランの普及に一役買ったことは間違いない。

パリ本店と同じサイズの「アンジェリーナ」のモンブラン(788円)。メレンゲ、ミルク味の強いクリームを固めのマロンペーストで包み込んだボリュームある一品。

 「アンジェリーナ」のモンブランは、メレンゲの土台の上に泡立てた生クリームを絞り、それを覆うように細いひも状の茶色いマロンクリームを絞る。冷蔵庫のない時代、このお菓子はテイクアウトのガトー(焼菓子)ではなく、サロンで食べるデセール(冷菓)の一種として食べられていた。

 このパリ発のモンブラン、土台がメレンゲであることを除けば、見た目は現在私たちが目にしている茶色いモンブランそっくりである。元祖は、あの懐かしの黄色いモンブランではなく、茶色いモンブランだったのだ。

モンブラン以前の日本洋菓子小史

 では、黄色いモンブランはいったいどんな経緯で誕生したのだろうか。

 日本で初めてモンブランを売り出したのは、東京・自由が丘のその名も「モンブラン」という店である。

 創業は1933(昭和8)年。迫田千万億(さこた・ちまお)が現在の東急東横線の学芸大学駅近くに店を開いたのが始まりだ。戦後すぐの1945(昭和20)年10月、焼け野原となった自由が丘駅前広場にほど近い現在の場所に移転した。

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1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


食の源流探訪

日本人が日常茶飯としている定番食。あまたある食べものの中で、
なぜそれが定番になり得たのか。どのように日本化されていったのか。
「新・日本食」の源流からの流れを、歴史をひもときながら考察する。