「黄色いモンブラン」は日本の発明

アルプスの山々に思いを馳せて自由が丘で誕生

2012.04.13(Fri) 澁川 祐子
筆者プロフィール&コラム概要

黄色の正体は甘露煮の栗

 「モンブラン」という店名は、登山が好きだった迫田が渡欧した際、秀峰モンブランを見て感動したことからつけられた。そして、フランス菓子のモンブランをヒントに、店の看板メニューを作ろうと、日本独自のモンブランを開発した。

日本流モンブランの発祥、東京・自由が丘にある「モンブラン」の外観。

 「モンブラン」のモンブランの特徴は、なんといっても土台にメレンゲでなくカステラを使用していることだ。おそらくこれは、当時バターケーキが流行していたこと、不二家が売り出したショートケーキが、本来はビスケットに苺を挟んだケーキだったのをスポンジに変えてヒットしたことなどが影響しているのだろう。

 土台のカステラをくり抜いたところへ、カスタードクリームと生クリームをたっぷり絞り、栗をまるごと一粒押し込む。その上に、バタークリームで縁取りをし、栗のペーストを円を描くように絞りだす。この栗のペーストもポイントで、迫田はフランス産のマロンペーストではなく、日本人になじみの深い甘露煮を使った。

 さらに、トップには焼いた白いメレンゲをちょこんと乗せる。このメレンゲは、アルプスの山々に残る万年雪をイメージした。

 こうして出来上がったのが、大ぶりの日本流モンブランだった。

 この独自のモンブランを発売した時期は、創業まもない頃とも、戦後、自由が丘に移って以後とも言われている。だが、いずれにせよ一般に知られるようになったのは戦後のことだろう。なぜなら、創業後しばらく経ってから、終戦に至る1945(昭和20)年まではどんどん材料が手に入りにくくなっていった時期だからだ。

東京・自由が丘「モンブラン」のモンブラン(440円)。箱のイラストは、交流の深かった洋画家の東郷青児によるもの。

 戦後になると、「モンブラン」は郊外の店にもかかわらず、一躍評判の店となっていく。

 大きくて美味しい、というのが人気の秘密だった。そして、「モンブラン」の名が広まると同時に、黄色い日本流モンブランの知名度もどんどん上がっていった。

 迫田は、「モンブラン」という屋号は商標登録したものの、独自に開発した黄色いモンブランは商標登録しなかった。その意図は、日本洋菓子界の発展を願い、広く一般にこの洋菓子の銘柄を開放することを選んだからだと言われている。そのため、黄色いモンブランはあらゆる洋菓子店で真似て作られるようになり、結果的に「モンブランと言えば黄色いモンブラン」と認識されるまでになったのだ。

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1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


食の源流探訪

日本人が日常茶飯としている定番食。あまたある食べものの中で、
なぜそれが定番になり得たのか。どのように日本化されていったのか。
「新・日本食」の源流からの流れを、歴史をひもときながら考察する。