1970年代に「セブン-イレブン」を立ち上げ、業界ナンバーワンに育て上げた鈴木敏文氏。一方、「100円ショップダイソー」で100円ショップの草分けとなった大創産業の創業者である矢野博丈氏。小売業の新分野を切り拓いた2人は、大学の先輩・後輩であり、長年の親交があった。本連載では、『一生学べる仕事力大全』(藤尾秀昭監修/致知出版社)に掲載された対談「不可能を可能に変える経営哲学」から内容の一部を抜粋・再編集し、両氏によるビジネスと経営についての対話を紹介する。
第4回は、売値と原価から見たダイソーのビジネスと、失敗と成功を経験した矢野氏が運の大切さに気づいたエピソードを取り上げる。
<連載ラインアップ>
■第1回 “コンビニの父”鈴木敏文が感心した100円ショップの誕生秘話とは?
■第2回 「絶対無理」と反対されても、鈴木敏文はなぜコンビニを諦めなかったのか
■第3回 “素人集団”だったセブン-イレブン・ジャパンが成長し続けた理由とは?
■第4回 ダイソー創業者は、なぜ新入社員に「人生は運だ」と言い続けたのか(本稿)
■第5回 「おいしくない」6000万円分の商品を廃棄した鈴木敏文の強烈なこだわりとは?
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事業を好転させた真の顧客第一主義
矢野 そういえばダイソーが東京に初めて進出した時は、北千住のヨーカドーの中に店を構えさせてもらったんですよ。
鈴木 ああ、そうなの。
矢野 はい。4トントラックに商品を目一杯積んで、広島から運転してきたんですね。ヨーカドーの社員の方が搬入を手伝ってくださったんですけど、その時、「これいくら?」って聞くんです。「全部100円です」って言うてるのに、それでも「これいくら?」って(笑)。
鈴木 100円ショップという概念がまだなかったからね(笑)。
矢野 お客さんも物珍(ものめずら)しかったんか、いまでも覚えていますけど、初日に130万円も売れて、ヨーカドーの店長さんもびっくりされていました。
鈴木 でもさ、100円均一って言っても、中には原価が100円以上する商品もあったわけでしょう?
矢野 いや、ないです。
鈴木 全部100円以下なの?
矢野 はい。100円を超えるものはいけないと。高いものがあっても、3000万個買うから97円にしてくださいというやり方で。
鈴木 いまはそうだけど、最初の頃はそんな大量に仕入れられないよね。何が転機になったの?
矢野 そうですね。なので、当初は原価が70円以下の品物しか仕入れていませんでした。100円均一の移動販売を始めて5年ほど経った頃、小さなスーパーの一画を借りて販売していた時に、あるお客さんが「この前、これ買(こ)うたらすぐ壊れた。安物買いの銭(ぜに)失いやわ」って周りに聞こえるくらい大きな声で言うんです。そのひと言に情けなくなって、「もうこんな商売、辞めちゃおう」と。
それで在庫をすべて処分するために、セールの目玉商品にしようと思っていた仕入れ値が100円以上する品物も並べました。すると、「えっ、これ100円でいいの」ってお客さんが集まってきて、ものすごい勢いで売れたんです。その光景をたまたま見たスーパーの卸(おろし)業者が、「卸値が120円する商品を98円にするから売ってほしい」と頼んできましてね。
そうしたら、その商品がお客さんの人気をまた集めて、今度は他のスーパーから「店舗を安く貸すから出店してほしい」と。どんどん好転していったんです。その時につくづくいいものを売らないかんと痛感しまして、そこから原価が98円とか99円の商品も取り扱うようにしました。
鈴木 商品そのものがお客さんを喜ばせていったと。
矢野 いい商品が100円で出せるようになると、僕も嬉しかったです。
最初の頃、名刺に「100円均一販売」って書いていたら、名刺交換する度に「こいつは安物売りじゃ」ってあからさまに嫌な顔をするんですよ。僕はちょっと見栄(みえ)っ張(ぱ)りなところがあって、「うちはいいものを売る高級な100円ショップです」と詭弁(きべん)を言うておったんですけど、それが結果オーライでしたね。
儲からなくてもいい。無理してでも、いいものを売ってお客さんに喜んでもらおう。そうやって本当の意味での顧客第一主義に徹すれば、後々よい結果が返ってくるということを教えてもらいました。